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京都府

如来の祟り(にょらいのたたり)とはどんな妖怪か|姿と伝承

如来の祟り  / ニョライノタタリ

そのほか 怪談・百物語

京都の方広寺で、善光寺から移した如来が祟り、残暑に飛雪が降ったという。

如来の祟りの姿を描いた図

Mds878 「方広寺の大仏殿跡緑地(京都府京都市東山区)」 2017年 / CC BY-SA 出典

如来の祟りとはどんな妖怪か

如来の祟りはひとことで言えば、移されて雪を降らせた仏です。京都府京都市の話です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、菊岡沾凉諸国里人談』(『日本随筆大成第二期』24巻、1975年、432頁)を典拠に、慶長元年、京都大仏方広寺の仏像が大地震で壊れた。その後信州善光寺から如来を請じてこの殿の本尊とした。この時、残暑が厳しかったが、にわかに飛雪が天に満ち、寒気が人を侵した。これは如来の祟りであるという。秀吉は8月18日に死ぬが、その前日に如来を善光寺に返したと記します。

慶長元年1596年です慶長伏見地震があった年です。

「善光寺如来」は長野の善光寺の本尊で、日本最古の仏像と伝えられます

秀吉の死の前日に返されたという一点が、この話の核です。

如来の祟りの漢字表記と読み方

読みは「にょらいのたたり」です。

「如来」は悟りを開いた者を指す仏の位です

「請じる」は招くことです仏像を他所へ移すときに使う言い方です。

この図鑑には薬師の祟り(岐阜)も収めています。 そちらも、動かされた仏の話です。

如来の祟り(にょらいのたたり)

日文研データベースが示す表記。

善光寺如来(ぜんこうじにょらい)

移された仏の呼び名。

如来の祟りの姿と特徴

この記録に妖怪の姿はありません。あるのは、天候の急変です。

きっかけ … 大地震で方広寺の仏像が壊れた。
したこと … 信州善光寺から如来を請じて本尊とした。
その時の季節 … 残暑が厳しかった。
起きたこと … にわかに飛雪が天に満ち、寒気が人を侵した。
説明 … これは如来の祟りである。
その後 … 秀吉の死の前日に、如来を善光寺に返した。

仏像が動いた、声を出したという記述はありません。

如来の祟りの伝承記録

  1. 地震で大仏が壊れる
  2. 残暑に雪が降る
  3. 死の前日に返す

地震で大仏が壊れる

慶長元年(1596年)、京都大仏方広寺の仏像が大地震で壊れました。

慶長伏見地震です。

方広寺の大仏は、豊臣秀吉が建てたものでした。

壊れた後、信州善光寺から如来を請じて、この殿の本尊としました

本尊を、よそから連れてきたことになります。

残暑に雪が降る

この時、残暑が厳しい季節でした。

にわかに飛雪が天に満ち、寒気が人を侵しました。

これは如来の祟りであるといわれました。

故郷から動かされたことへの、仏の側の返答と受け取られたわけです。

この図鑑には薬師の祟り(岐阜)も収めています。

死の前日に返す

秀吉は8月18日に死にます。

その前日に、如来を善光寺に返しました。

返した翌日に死んだ——そう並べて記されています

記録は、二つの出来事を続けて書くだけです。

因果を断定してはいません。

如来の祟りの伝承地域

公的データベースの地域欄は京都府京都市東山区を示します。記録は京都大仏方広寺と記します。

方広寺は現在も京都市東山区にあります。 「国家安康」の鐘銘事件でも知られる寺です。

方広寺(ほうこうじ)

記録が示す寺

地図で開く

方広寺の所在地:京都府京都市東山区

豊臣秀吉が大仏を建てた寺。鐘銘事件でも知られます。

現在も京都市東山区にあります。

如来の祟りの正体と考えられているもの

この記録に妖怪は出てきません。語られているのは、動かされた仏の祟りです。

残暑に雪が降るという天候の急変が、祟りとして説明されました

この図鑑には薬師の祟り(岐阜)、薬師の面(島根)も収めています。

どれも、もとの場所から動かされた仏が起こす話です。

この記録の特徴は、秀吉の死と並べて書かれていることです。

如来の祟りが登場する作品

この話は、『諸国里人談』で読めます。日本随筆大成第二期24巻に収められています。

善光寺如来は各地へ移された歴史があり、その道筋をたどった本もあります。併せて読むと、この記録の位置が見えてきます。

如来の祟りが登場する古典籍

諸国里人談

菊岡沾凉による江戸期の随筆。各地の見聞を集めています。

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如来の祟りについてよくある質問

如来の祟りとは何ですか。

京都の方広寺に善光寺から如来を移したところ、残暑に雪が降ったという記録です。

いつの話ですか。

慶長元年(1596年)です。慶長伏見地震があった年です。

その後どうなりましたか。

秀吉が八月十八日に死に、その前日に如来を善光寺に返したと記録されています。

方広寺は今もありますか。

あります。京都市東山区にあり、鐘銘事件でも知られます。

如来の祟りと併せて覚えたい言葉・用語

善光寺如来(ぜんこうじにょらい)

長野の善光寺の本尊。日本最古の仏像と伝えられます。

慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)

慶長元年(1596年)の大地震。方広寺の大仏が壊れました。

諸国里人談(しょこくりじんだん)

菊岡沾凉による江戸期の随筆。この話を載せています。

如来の祟りの参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「如来の祟り」