兵庫県丹波篠山市西浜谷で、他へ移された塔の石が夜な夜な濱谷に帰りたいと泣いたという。

義盛の塔とはどんな妖怪か
義盛の塔は、帰りたいと泣いた石です。兵庫県丹波篠山市西浜谷の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、多田文秋「伊勢三郎義盛の旧跡」(『旅と伝説』三元社、1932年)を典拠に、寛延年中、領主がここにあった義盛の塔を他に移したところ、その石が夜な夜な、濱谷に帰りたいと泣いた。そこで、元の所へ戻したというと記します。
言葉が書かれています。
その石は夜な夜な濱谷に帰りたいと泣いたのです。
この図鑑には藁打石(大阪)も収めています。
義盛の塔の漢字表記と読み方
読みは「よしもりのとう」です。
「寛延」は1748年から1751年までの年号です。
「夜な夜な」は、毎晩ということです。
記録は地名を「濱谷」とも書いています。
この図鑑には藁打石(大阪)も収めています。
義盛の塔(よしもりのとう)
日文研データベースが示す呼称。
伊勢三郎義盛(いせのさぶろうよしもり)
論文名が示す、塔の名のもとになった人です。
義盛の塔の姿と特徴
義盛の塔の話は、記録に短く書かれています。
そのころ … 寛延年中。
した人 … 領主。
したこと … ここにあった義盛の塔を他に移した。
起きたこと … その石が夜な夜な泣いた。
その言葉 … 濱谷に帰りたい。
その後 … 元の所へ戻した。
塔の高さは書かれていません。
義盛の塔の伝承記録
領主が移す
寛延年中、領主がここにあった義盛の塔を他に移しました。
動かしたのは塔です。
夜な夜な泣く
すると、その石が夜な夜な泣きました。
聞こえたのは泣き声です。
濱谷に帰りたい
濱谷に帰りたいと泣いたといいます。
求めたのはもとの場所です。
元の所へ戻す
そこで、元の所へ戻したといいます。
戻ったのは石です。
義盛の塔の伝承地域
公的データベースの地域欄は兵庫県、市郡名の欄は丹波篠山市、区町村名の欄は西浜谷を示します。
記録は地名を濱谷とも書いています。
義盛の塔の正体と考えられているもの
義盛の塔は、帰りたいと泣いた石です。
祟りは書かれていません。 語られているのは、何を言ったかと、人がどうしたかです。
訴えを聞いて戻したという結びが、争いにならずに終わるこの話の穏やかさです。
この図鑑には藁打石(大阪)も収めています。
義盛の塔が登場する作品
義盛の塔を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは戦前の伝説雑誌です。
動かすと泣く石の話は各地にあり、夜泣き石の名で伝わる土地もあります。
義盛の塔が登場する雑誌
旅と伝説
三元社が出した伝説の雑誌です。1932年の号に伊勢三郎義盛の旧跡が載ります。
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義盛の塔についてよくある質問
義盛の塔とは何ですか。
兵庫県丹波篠山市西浜谷にあるという塔です。
誰が移したのですか。
寛延年中に領主が他へ移しました。
何が起きましたか。
その石が夜な夜な、濱谷に帰りたいと泣いたといいます。
そのあとどうなりましたか。
元の所へ戻したと記録されています。
義盛の塔と併せて覚えたい言葉・用語
寛延(かんえん)
1748年から1751年までの年号です。
領主(りょうしゅ)
その土地を治める人のことです。
丹波篠山市(たんばささやまし)
兵庫県中東部の市です。
義盛の塔の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。