福島県塙町で、金を取られた六部が田で「貧乏んなれ」と手をはたき、家に不幸が続いたという話。
六部の祟りとはどんな妖怪か
六部の祟りは、田で唱えられた言葉です。福島県東白川郡塙町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、東京女子大学史学科民俗調査団「〈因縁化物話〉」(『東白川の昔話』東京女子大学史学科民俗調査団、1971年)を典拠に、話者を斎藤ハナとして、六部が目が見えなくなり、どこにも行かれなくなって、そのうちで泊まっていたが、金をみんなとられてしまった。それで、裏の田んぼに来て、手をはたきながら「貧乏んなれ、貧乏んなれ、貧乏んなれ」と、毎日田んぼに手をはたいていた。そしてその六部がしんでしまってから、そのうちでは夫婦が病気になって亡くなっり、その人のあとの代になっても草刈りへ行って馬の背骨が折れたりした。今でもその家はやっているが、罰が当たって因果をみたのだ。六部の崇の話であると記します。
言葉は三度でした。
「貧乏んなれ、貧乏んなれ、貧乏んなれ」と、毎日田んぼに手をはたいたのです。
この図鑑には六部塚(岐阜)も収めています。
六部の祟りの漢字表記と読み方
読みは「ろくぶのたたり」です。
「六部」は六十六部、諸国の霊場をめぐる巡礼者のことです。
「そのうち」は、その家という意味の言い方です。
「因果をみる」は、報いを受けるという意味です。
この図鑑には六部塚(岐阜)も収めています。
六部の祟り(ろくぶのたたり)
日文研データベースが示す呼称。
因縁(いんねん)
記録が結びで使う語です。
六部の祟りの姿と特徴
六部の祟りの話は、記録に順を追って書かれています。
その人 … 六部。
起きたこと(一) … 目が見えなくなった。
起きたこと(二) … どこにも行かれなくなった。
していたこと … その家で泊まっていた。
されたこと … 金をみんなとられた。
したこと … 裏の田んぼに来て、手をはたいた。
言った言葉 … 貧乏んなれ、貧乏んなれ、貧乏んなれ。
その回数 … 毎日。
六部の死後(一) … その家では夫婦が病気になって亡くなった。
六部の死後(二) … あとの代でも草刈りで馬の背骨が折れた。
語り手の結び … 罰が当たって因果をみたのだ。
六部の名は書かれていません。
六部の祟りの伝承記録
目が見えなくなる
六部が目が見えなくなり、どこにも行かれなくなって、その家で泊まっていました。
動けなくなったのは目のためです。
金を取られる
金をみんなとられてしまいました。
失ったのはすべてです。
貧乏んなれ
裏の田んぼに来て、手をはたきながら「貧乏んなれ、貧乏んなれ、貧乏んなれ」と、毎日田んぼに手をはたいていました。
唱えたのは田でです。
代を越えて続く
その六部が死んでから、その家では夫婦が病気になって亡くなり、あとの代でも草刈りへ行って馬の背骨が折れたりしました。
及んだのは次の代にもです。
六部の祟りの伝承地域
公的データベースの地域欄は福島県東白川郡、区町村名の欄は塙町を示します。
報告の題は東白川の昔話です。
六部の祟りの正体と考えられているもの
六部の祟りは、田で唱えられた言葉です。
姿は現れません。 語られているのは、何をされたかと、そのあと家に何が続いたかです。
「今でもその家はやっている」と結ばれるところが、聞き書きの生々しさです。
この図鑑には六部塚(岐阜)も収めています。
六部の祟りが登場する作品
六部の祟りを単独で扱った本は見当たりません。読めるのは大学の民俗調査団の報告書です。
泊めた六部の金を奪った家が祟られる話は各地にあり、六部殺しの名で知られます。
六部の祟りが登場する報告書
東白川の昔話
東京女子大学史学科民俗調査団が1971年に出した報告です。
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六部の祟りについてよくある質問
六部の祟りとは何ですか。
福島県塙町で、金を取られた六部が唱えたという言葉と、その後の不幸です。
何と唱えたのですか。
「貧乏んなれ」を三度、毎日田んぼで手をはたきながらといいます。
家に何が起きましたか。
夫婦が病気で亡くなり、あとの代でも馬の背骨が折れたと記録されています。
六部とは何ですか。
六十六部、諸国の霊場をめぐる巡礼者のことです。
六部の祟りと併せて覚えたい言葉・用語
六部(ろくぶ)
六十六部、諸国の霊場をめぐる巡礼者のことです。
因果(いんが)
行いの報いのことです。
塙町(はなわまち)
福島県東白川郡の町です。
六部の祟りの参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。