東京都文京区で、円乗寺の門前に毎夜現れると新聞にも出たという八百屋お七の亡霊。

お七の亡霊とはどんな妖怪か
お七の亡霊はひとことで言えば、新聞に載った噂です。東京都文京区の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、中島恵子「八百屋お七にみる現代の民間信仰」(『女性と経験』通巻21号、1996年、29頁)を典拠に、大正の終わり頃、お七の亡霊が出るという噂が何度かたった。円乗寺の門前に毎夜現れるということが新聞に出た。昭和30年代まで亡霊が出るという噂があったと記します。
噂が続いた長さが書かれています。
大正の終わりから昭和三十年代まで。 三十年あまり、同じ場所で言われ続けました。
お七の亡霊の漢字表記と読み方
読みは「おしちのぼうれい」です。
八百屋お七は、恋しさから火を付けたとされ、天和三年に処刑された娘です。 芝居や浄瑠璃になりました。
円乗寺は文京区白山にある寺で、お七の墓があります。
この図鑑には風邪の神(山梨)も収めています。そちらもお七が出てきます。
お七の亡霊(おしちのぼうれい)
日文研データベースが示す呼称。
八百屋お七(やおやおしち)
江戸の放火事件で知られる娘の名です。
お七の亡霊の姿と特徴
お七の亡霊の姿は、記録に書かれていません。あるのは、噂の広がりです。
時期1 … 大正の終わり頃。
そのとき … 亡霊が出るという噂が何度かたった。
出る場所 … 円乗寺の門前。
出る頻度 … 毎夜。
広まり方 … 新聞に出た。
時期2 … 昭和三十年代まで噂があった。
姿かたちは書かれていません。
お七の亡霊の伝承記録
大正の終わりに噂がたつ
大正の終わり頃、お七の亡霊が出るという噂が何度かたちました。
一度きりではありません。 何度かです。
新聞に出る
円乗寺の門前に毎夜現れるということが、新聞に出ました。
口伝えだけではありません。
活字になっています。
昭和三十年代まで続く
昭和30年代まで、亡霊が出るという噂がありました。
戦争をはさんで、噂が生き延びています。
お七の亡霊の伝承地域
公的データベースの地域欄は東京都文京区を示します。
円乗寺は文京区白山にあり、八百屋お七の墓で知られます。
お七の亡霊の正体と考えられているもの
お七の亡霊は、噂として長く生きたものです。
祟りという語は使われていません。 記されているのは、出るという噂だけです。
それでも、新聞と三十年が残りました。
この図鑑には風邪の神(山梨)も収めています。
お七の亡霊が登場する作品
お七の亡霊を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは会誌です。
八百屋お七は芝居や浄瑠璃で広く知られ、墓のある寺に噂が集まりました。この図鑑には風邪の神(山梨)も収めています。
お七の亡霊が登場する学会誌
女性と経験
女性民俗研究会の会誌です。1996年の号に中島恵子の論考が載ります。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
お七の亡霊についてよくある質問
お七の亡霊とは何ですか。
東京都文京区の円乗寺の門前に出るとされた、八百屋お七の亡霊です。
いつの噂ですか。
大正の終わり頃から昭和三十年代までと記録されています。
新聞に出ましたか。
毎夜現れるということが新聞に出たとされます。
八百屋お七とは誰ですか。
恋しさから火を付けたとされ、天和三年に処刑された娘です。
お七の亡霊と併せて覚えたい言葉・用語
八百屋お七(やおやおしち)
江戸の放火事件で知られる娘です。
円乗寺(えんじょうじ)
東京都文京区白山の寺。お七の墓があります。
亡霊(ぼうれい)
死んだ人の霊のことです。
お七の亡霊の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。