岡山県で巨石の中から出た玉。暗室に入れれば文字が読めるほど照らした。

Tatushin 「鷲羽山から望む児島(岡山県倉敷市)」 2008年 / パブリックドメイン 出典
夜光の玉とはどんな妖怪か
夜光の玉はひとことで言えば、石の中から出た明かりです。岡山県の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、松平定信『退閑雑記』(『続日本随筆大成』6巻、吉川弘文館、1980年、207頁)を典拠に、地理学者であった古川古松軒の話によると、寛政9年(1797)に備前国児嶋の榧ヶ原という場所で、豪農が石垣を作らせていると、ある巨石の中から2つの玉が出てきた。その大きい方の玉は白い粉を塗っているように見え、暗室に入れれば文字が見えるほど周囲を照らす夜光の玉というべきものだったと記します。
書いたのは松平定信——寛政の改革を行った幕府の老中です。
話したのは古川古松軒——地理学者です。
年も場所も、はっきり記録されています。
夜光の玉の漢字表記と読み方
読みは「やこうのたま」です。
夜光の玉は、中国の書物にも見える宝です。闇を照らす珠として、古くから語られてきました。
この記録の特徴は、拾った年と場所が書かれていることです。
寛政九年(1797年)、備前国児嶋の榧ヶ原。
夜光の玉(やこうのたま)
日文研データベースが示す表記。
夜光珠(やこうじゅ)
同じものを指す言い方。
夜光の玉の姿と特徴
記録にあるのは、二つの玉です。
出てきた場所 … 巨石の中。
数 … 二つ。
大きい方の見た目 … 白い粉を塗っているように見える。
明るさ … 暗室に入れれば文字が見えるほど周囲を照らす。
きっかけ … 豪農が石垣を作らせていた。
小さい方の玉については書かれていません。
夜光の玉の伝承記録
石垣を作らせていたら出た
寛政九年(1797年)のことです。
備前国児嶋の榧ヶ原という場所で、豪農が石垣を作らせていました。
そこで、ある巨石の中から二つの玉が出てきました。
石を割って出てきたことになります。
この図鑑には、石から出たものとして赤子石も収めています。
暗室で文字が読める
大きい方の玉は、白い粉を塗っているように見えました。
そして、暗室に入れれば文字が見えるほど周囲を照らしました。
明るさの測り方が具体的です。 文字が読めるかどうかで示しています。
記録は「夜光の玉というべきもの」と結びます。
断定を避けた書き方です。 話を聞いた側の慎重さが出ています。
夜光の玉の伝承地域
公的データベースの地域欄は岡山県倉敷市、玉野市を示します。記録は備前国児嶋の榧ヶ原と記します。
児島は、かつて島でした。 干拓で陸続きになった土地です。 榧ヶ原の位置は書かれていません。
夜光の玉の正体と考えられているもの
この玉の正体は分かっていません。
白い粉を塗っているように見えるという見た目から、鉱物を思わせます。
蛍石のように、光を受けた後にしばらく光る石が知られています。資料はそこに触れていません。
記録は「夜光の玉というべきもの」とだけ書きます。
書いたのが松平定信、話したのが古川古松軒という点で、当時の知識人が書き留めた記録にあたります。
夜光の玉が登場する作品
この話は、『退閑雑記』で読めます。続日本随筆大成6巻(吉川弘文館)に収められています。
松平定信は寛政の改革を行った老中で、退いた後にこの随筆を書きました。古川古松軒は『東遊雑記』などを残した地理学者です。
夜光の玉が登場する古典籍
退閑雑記
松平定信による随筆。古川古松軒から聞いた話として載せています。
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夜光の玉についてよくある質問
夜光の玉とは何ですか。
岡山県の児島で、巨石の中から出たとされる玉です。暗室で文字が読めるほど周囲を照らしました。
いつの話ですか。
寛政九年(1797年)のことと記録されています。
誰の話ですか。
地理学者・古川古松軒の話として、松平定信が『退閑雑記』に書き留めました。
玉はいくつ出たのですか。
二つです。大きい方について明るさが記されています。
夜光の玉と併せて覚えたい言葉・用語
松平定信(まつだいらさだのぶ)
寛政の改革を行った幕府の老中。この随筆の筆者です。
古川古松軒(ふるかわこしょうけん)
江戸期の地理学者。この話を伝えた人です。
児島(こじま)
岡山県倉敷市の地名。かつては島でした。
夜光の玉の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。