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奈良県

七倉(ななくら)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品・伝承地域

七倉  / ナナクラ

そのほか 各地の伝説

奈良県平群町で、旅僧を拒んだ翌日に飛んでいったという七つの倉。焼けた跡から今でも米が出るという。

七倉の姿を描いた図

663highland 「朝護孫子寺の伽藍(奈良県生駒郡平群町)」 2019年 / CC BY 2.5 出典

七倉とはどんな妖怪か

七倉は、飛んでいった倉です。奈良県生駒郡平群町の話です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、松本楢重七倉」(『郷土研究』郷土研究社、1934年)を典拠に、ある人が大金持ちになり、7つ倉を建てた。ある日旅僧が来て、哀れを乞うたが拒まれた。翌日その倉は飛んでいってしまった。そこを七倉という。ある日その七倉が焼けて、そこからは今でも米が出るというと記します。

土地に名が残りました。

倉は無くなったのに、そこを七倉というのです。

この図鑑には味噌長者(各地)も収めています。

七倉の漢字表記と読み方

読みは「ななくら」です。

「哀れを乞う」は、施しを求めることです。

「倉」は物をしまう建物のことです。

「平群町」は奈良県生駒郡の町です。

七倉(ななくら)

日文研データベースが示す呼称。

旅僧(たびそう)

日文研データベースが並べて示す呼称です。

七倉の姿と特徴

七倉の話は、記録に順を追って書かれています。

その人 … ある人。
したこと … 大金持ちになり、七つ倉を建てた。
来た人 … 旅僧。
求めたこと … 哀れを乞うた。
その返事 … 拒まれた。
翌日起きたこと … その倉は飛んでいってしまった。
その土地の名 … 七倉。
その後 … ある日その七倉が焼けた。
いまのこと … そこからは今でも米が出る。

倉の大きさは書かれていません。

七倉の伝承記録

  1. 七つの倉
  2. 旅僧を拒む
  3. 倉が飛ぶ
  4. 今でも米が出る

七つの倉

ある人が大金持ちになり、7つ倉を建てました。

数は七つです。

旅僧を拒む

ある日旅僧が来て、哀れを乞うたが拒まれました。

断ったのは家の側です。

倉が飛ぶ

翌日その倉は飛んでいってしまいました。

消えたのは翌日です。

今でも米が出る

そこを七倉といい、ある日その七倉が焼けて、そこからは今でも米が出るといいます。

残ったのはです。

七倉の伝承地域

公的データベースの地域欄は奈良県生駒郡、区町村名の欄は平群町を示します。

論文名は地名と同じ七倉です。

平群町(へぐりちょう)

日文研データベースが示す伝承地域

地図で開く

平群町の所在地:奈良県生駒郡平群町

報告は郷土研究社の郷土研究によります。

論文名は七倉です。

七倉の正体と考えられているもの

七倉は、飛んでいった倉です

姿のあるものは出てきません。 語られているのは、何を断ったかと、そのあと何が起きたかです。

焼けた跡から今でも米が出るという結びが、土地の名の由来を支えています。

この図鑑には味噌長者(各地)も収めています。

七倉が登場する作品

七倉を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは戦前の郷土研究の雑誌です。

施しを断って富を失う話は各地にあり、旅の僧が現れる形をよくとります。

七倉が登場する学会誌

郷土研究

郷土研究社が出した雑誌です。1934年の号に七倉が載ります。

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七倉についてよくある質問

七倉とは何ですか。

奈良県平群町で、飛んでいったと語られる七つの倉です。

なぜ飛んだのですか。

旅僧が哀れを乞うたのを拒んだ翌日といいます。

いまはどうなっていますか。

そこを七倉と呼び、焼けた跡から今でも米が出るといいます。

倉とは何ですか。

物をしまう建物のことです。

七倉と併せて覚えたい言葉・用語

哀れを乞う(あわれをこう)

施しを求めることです。

旅僧(たびそう)

諸国をめぐり歩く僧のことです。

平群町(へぐりちょう)

奈良県生駒郡の町です。

七倉の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「旅僧,倉」