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京都府

妖蚿(ようげん)とはどんな妖怪か|姿と伝承・登場する作品・伝承地域

妖蚿  / ヨウゲン

そのほか 各地の伝説

京都市右京区の妙心寺にある田原藤太の矢根。祖先の藤原秀郷が妖蚿を射殺したものという。

妖蚿の姿を描いた図

Hyppolyte de Saint-Rambert 「妙心寺の法堂(京都府京都市右京区)」 2020年 / CC BY-SA 4.0 出典

妖蚿とはどんな妖怪か

妖蚿は、矢根に残る大百足です。京都府京都市右京区の話です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、天野信景塩尻」(『日本随筆大成第三期』吉川弘文館、1977年)を典拠に、田原藤太の矢根が妙心寺にある。これは豊臣秀吉の子・棄君が生まれた時に蒲生氏郷が天正17年4月に献上したもので、彼の祖先である藤原秀郷が妖蚿を射殺したものであると記します。

残っているのは矢の先です。

妙心寺にあるのは田原藤太の矢根です。

この図鑑には大百足(滋賀)も収めています。

妖蚿の漢字表記と読み方

読みは「ようげん」です。

「蚿」はやすで、むかでの類を指す字です。

「矢根」は、矢の先につける金具のことです。

「天正17年」は1589年にあたります。

この図鑑には大百足(滋賀)も収めています。

妖蚿(ようげん)

日文研データベースが示す呼称。

田原藤太(たわらとうた)

記録が示す、藤原秀郷の呼び名です。

妖蚿の姿と特徴

妖蚿の話は、記録に短く書かれています。

あるもの … 田原藤太の矢根。
その場所 … 妙心寺。
献上のきっかけ … 豊臣秀吉の子・棄君が生まれた時。
献上した人 … 蒲生氏郷。
その時期 … 天正17年4月。
その由来 … 彼の祖先である藤原秀郷が妖蚿を射殺したもの。

妖蚿の大きさは書かれていません。

妖蚿の伝承記録

  1. 妙心寺の矢根
  2. 棄君の誕生に
  3. 蒲生氏郷が献じる
  4. 秀郷が射殺した

妙心寺の矢根

田原藤太の矢根が妙心寺にあります。

あるのは矢の先です。

棄君の誕生に

これは豊臣秀吉の子・棄君が生まれた時に献上されたものです。

きっかけは誕生です。

蒲生氏郷が献じる

蒲生氏郷が天正17年4月に献上しました。

献じたのは氏郷です。

秀郷が射殺した

彼の祖先である藤原秀郷が妖蚿を射殺したものです。

射たのは秀郷です。

妖蚿の伝承地域

公的データベースの地域欄は京都府、市郡名の欄は京都市、区町村名の欄は右京区を示します。

論文名は塩尻で、天野信景の随筆です。

妙心寺(みょうしんじ)

日文研データベースが示す伝承地域

地図で開く

妙心寺の所在地:京都府京都市右京区

報告は吉川弘文館の日本随筆大成によります。

記録は矢根の伝来を天正17年4月と書いています。

妖蚿の正体と考えられているもの

妖蚿は、矢根に残る大百足です

姿は出てきません。 語られているのは、何が残っているかと、誰が射たかです。

射た相手でなく矢の先のほうが伝わってきたところが、この話の残り方です。

この図鑑には大百足(滋賀)も収めています。

妖蚿が登場する作品

妖蚿を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは随筆を集めた叢書です。

藤原秀郷が大百足を射る話は俵藤太の名でよく知られ、瀬田の唐橋を舞台に語られます。

妖蚿が登場する随筆

日本随筆大成第三期

吉川弘文館が1977年に出した叢書です。天野信景の塩尻を収めます。

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妖蚿についてよくある質問

妖蚿とは何ですか。

藤原秀郷が射殺したと記録される、むかでの類の怪しいものです。

何が残っているのですか。

京都市右京区の妙心寺にある田原藤太の矢根です。

誰が献上したのですか。

天正十七年四月に蒲生氏郷が献上しました。

なぜ献上したのですか。

豊臣秀吉の子・棄君が生まれた時のためです。

妖蚿と併せて覚えたい言葉・用語

(げん)

やすでやむかでの類を指す字です。

矢根(やのね)

矢の先につける金具のことです。

田原藤太(たわらとうた)

藤原秀郷の呼び名です。

妖蚿の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「妖蚿」