香川県三豊市で、明治六年に噂のとおりと見なされ、竹槍で突き殺された狂女の呼び名。

Dokudami 「紫雲出山(香川県三豊市)」 2014年 / CC BY-SA 3.0 出典
子取婆とはどんな妖怪か
子取婆はひとことで言えば、噂が先にあった名です。香川県三豊市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、三木春露「『竹槍騒擾記』」(『旅と伝説』15巻12号/通巻180号、1942年、65頁)を典拠に、明治6年6月26日(旧暦)ノブという女性が子供をなくして狂女となった。ノブはその後、徘徊中にこどもをさらうが、かねてより「子取婆が小児を殺して生血をしぼる」という話があったため、村人に竹槍で突き殺されたと記します。
順序が逆です。
先にあったのは子取婆の噂でした。 その噂に当てはめられた人が、殺されています。
子取婆の漢字表記と読み方
読みは「ことりばあ」です。
明治六年の竹槍騒擾は、讃岐でおきた大規模な一揆を指します。 この話はそのさなかの出来事です。
子を失った人が、子をさらう者と見なされました。
この図鑑には人取り淵(奈良)も収めています。そちらは子取りが出るとされた淵です。
子取婆(ことりばあ)
日文研データベースが示す呼称。
竹槍騒擾(たけやりそうじょう)
報告の題にある明治六年の騒動です。
子取婆の姿と特徴
子取婆に姿はありません。記録にあるのは、日付と、噂と、結末です。
日付 … 明治六年六月二十六日(旧暦)。
その人 … ノブという女性。
きっかけ … 子供をなくして狂女となった。
したこと … 徘徊中に子どもをさらう。
先にあった噂 … 子取婆が小児を殺して生血をしぼる。
結末 … 村人に竹槍で突き殺された。
姿かたちは書かれていません。
子取婆の伝承記録
子を失う
明治6年6月26日(旧暦)、ノブという女性が子供をなくして狂女となりました。
日付まで、はっきり書かれています。
噂が先にあった
かねてより「子取婆が小児を殺して生血をしぼる」という話がありました。
その人が現れる前から、名前だけがありました。
竹槍で突き殺される
ノブはその後、徘徊中にこどもをさらいます。
そして、村人に竹槍で突き殺されました。
噂に当てはめられた結果です。
子取婆の伝承地域
公的データベースの地域欄は香川県三豊市を示します。
三豊市は讃岐の西のはしにあたります。
子取婆の正体と考えられているもの
子取婆は、噂が人に当てはめられた名です。
祟りという語は使われていません。 記されているのは、噂と、殺されたことだけです。
それでも、名前のほうが先にありました。
この図鑑には人取り淵(奈良)も収めています。
子取婆が登場する作品
子取婆を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは雑誌の報告です。
子をさらうものの噂は各地にあり、実在の人に向かうことがありました。この図鑑には人取り淵(奈良)も収めています。
子取婆が登場する雑誌
旅と伝説
三元社の雑誌です。1942年の号に三木春露の竹槍騒擾記が載ります。
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子取婆についてよくある質問
子取婆とは何ですか。
香川県三豊市で、小児をさらうとされた者の呼び名です。
実在の人ですか。
子供をなくして狂女となったノブという女性がそう見なされたと記録されています。
どうなりましたか。
村人に竹槍で突き殺されたとされます。
いつのことですか。
明治六年六月二十六日(旧暦)のこととされます。
子取婆と併せて覚えたい言葉・用語
竹槍騒擾(たけやりそうじょう)
明治六年に讃岐でおきた大規模な一揆です。
狂女(きょうじょ)
当時の記録で心を病んだ女性を指した言い方です。
三豊市(みとよし)
香川県西部の市です。
子取婆の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。