女人禁制の大川山で足が動かなくなった尼が、しがみついて泣いたという石。
尼の泣き石とはどんな妖怪か
尼の泣き石はひとことで言えば、山に入れなかった女の石です。香川県の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、谷原博信「讃岐山村の伝説と昔話」(『あしなか』通巻221号、1991年、9頁)を典拠に、次のように記します。
女人禁制の大川山に登りたいという女が尼となって苦行を重ねた後、山に登りはじめたが、社の近くになって足が動かなくなり、持参の手水鉢も動かず、尼は石にしがみついて泣いた。そこは以後尼の泣き石と呼ばれた。
妖怪は出てきません。 動かなくなったのは、足と手水鉢です。
女人禁制は、女性の立ち入りを禁じた決まりです。山や霊場に置かれました。
尼になり、苦行を重ねてもなお、越えられませんでした。
尼の泣き石の漢字表記と読み方
読みは「あまのなきいし」です。
「尼」は出家した女性を指します。登るために出家したという筋が、名に残っています。
泣き石の名を持つ石は各地にあります。別れや無念の場に置かれた石に付く名です。
尼の泣き石(あまのなきいし)
日文研データベースが示す漢字表記。
アマノナキイシ(あまのなきいし)
同データベースの呼称読み。
尼の泣き石の姿と特徴
この話に妖怪の姿はありません。記録にあるのは、動かなくなったものです。
場所 … 大川山、社の近く。
動かなくなったもの1 … 尼の足。
動かなくなったもの2 … 持参の手水鉢。
その後 … 石にしがみついて泣いた。
何かが現れて止めた、という記述はありません。
止まった、というだけです。
尼の泣き石の伝承記録
尼となって登る
女は、女人禁制の大川山に登りたいと願いました。
そのために、尼となって苦行を重ねました。髪を下ろし、身を清め、修行を積んだということです。
手水鉢を持参しています。手水鉢は、手を清めるための鉢です。捧げ物として運んだとみられます。
そして、山に登りはじめました。
社の近くで、足が止まる
社の近くになって足が動かなくなりました。
持参の手水鉢も動きません。運ぼうとしても、その場から動かなくなったということです。
尼は石にしがみついて泣きました。
誰かに追い返されたのでもなく、罰を受けたのでもありません。ただ、そこから先へ進めませんでした。
その石が、尼の泣き石と呼ばれるようになりました。
尼の泣き石の伝承地域
記録は大川山を舞台とします。大川山は讃岐山脈の山で、香川県まんのう町の南にあります。
石の現在地は書かれていないため、地図で指せるのは山の範囲までです。
大川山周辺(だいせんざんしゅうへん)
記録が舞台とする山
大川山周辺の所在地:香川県仲多度郡まんのう町
大川山は讃岐山脈の山で、まんのう町と徳島県の境にあります。
石の現在地は資料に書かれていません。
尼の泣き石の正体と考えられているもの
この話に妖怪は出てきません。語られているのは、女人禁制という決まりの重さです。
尼になり、苦行を重ねても越えられませんでした。
足が動かない、手水鉢も動かない。 目に見えない境が、そこにあったことになります。
各地の霊山には、女人結界の跡が残ります。尼の泣き石も、その一つを示す石です。
尼の泣き石が記録された資料
尼の泣き石を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『あしなか』の記事です。
『あしなか』は山村民俗の会が出す雑誌で、山の暮らしと伝説を長く載せてきました。女人禁制を扱った本と併せて読むと背景が見えます。
尼の泣き石が記録された民俗資料
讃岐山村の伝説と昔話
谷原博信が『あしなか』通巻221号(1991年)に載せた中心資料です。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
尼の泣き石についてよくある質問
尼の泣き石とは何ですか。
香川県の大川山にある石です。女人禁制の山に登ろうとした尼が、社の近くで足が動かなくなり、しがみついて泣いたと伝わります。
なぜ動けなくなったのですか。
理由は記録されていません。足も持参の手水鉢も動かなくなったとだけ伝えられています。
女人禁制とは何ですか。
女性の立ち入りを禁じた決まりです。山や霊場に置かれました。
石は今もありますか。
資料に現在地の記載はありません。記録は大川山の社の近くとします。
尼の泣き石と併せて覚えたい言葉・用語
女人禁制(にょにんきんぜい)
女性の立ち入りを禁じた決まり。山や霊場に置かれました。
手水鉢(ちょうずばち)
手を清めるための鉢。尼が持参したとされます。
大川山(だいせんざん)
讃岐山脈の山。この話の舞台です。
尼の泣き石の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。