岩手県花巻市の塚。古塚から経文を読むような赤子の声がし、掘ると生きた赤子が出たと伝わる。

赤子塚とはどんな妖怪か
赤子塚はひとことで言えば、塚から助け出された赤子の話です。岩手県花巻市石鳥谷町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、中道等「奥羽巡杖記」(『旅と伝説』2巻6号・通巻18号、1929年、10頁)を典拠に、次のように記します。
寺林村光林寺の西の道、地蔵堂側にある杉の木辺りは四畳敷ほどの高さとなっていた。大興寺の和尚がここを通りかかると古塚の中から経文を読むような赤子の声が聞こえてきた。
そして、塚を掘ると赤子は生きていて、和尚が育てるととても優秀で跡を継ぐことになった。後の名は如幻和尚という。
この塚を、赤子塚・如幻塚と呼びます。
怪異が、人ひとりの一生につながるという珍しい形の話です。
赤子塚の漢字表記と読み方
読みは「あかごづか」です。如幻塚(にょげんづか)ともいいます。
二つの名は、同じ塚の前と後ろを指しています。赤子塚は声が聞こえた時の名、如幻塚は育った子の名にちなむ名です。
如幻は僧としての名です。塚から出た子が、寺を継ぐ僧になったことが、名に残りました。
赤子塚(あかごづか)
日文研データベースが示す漢字表記。
如幻塚(にょげんづか)
育った子の名にちなむ呼び方。
赤子塚の姿と特徴
赤子塚は、塚です。
場所 … 寺林村光林寺の西の道、地蔵堂側の杉の木のあたり。
高さ … 四畳敷ほど。
声 … 経文を読むような赤子の声。
中 … 生きた赤子。
化け物が現れるという記録はありません。
塚がいつ築かれたか、誰の塚かも書かれていません。
赤子塚の伝承記録
古塚から聞こえる赤子の声
大興寺の和尚が道を通りかかると、古塚の中から声が聞こえました。
声は、経文を読むような赤子の声でした。泣き声とは書かれていません。
赤子が経を読むという組み合わせは、この話の核心です。はじめからただの赤子ではないことが示されています。
四畳敷ほどの高さという塚の大きさまで記録されています。
掘り出され、寺を継ぐ
和尚が塚を掘ると、赤子は生きていました。
育てると、とても優秀で、寺の跡を継ぐことになりました。 その名が如幻和尚です。
捨てられた子か、埋められた子かは書かれていません。 経を読む声だけが、そこに人がいることを知らせました。
塚は、この出来事から二つの名で呼ばれるようになりました。
赤子塚の伝承地域
公的データベースの地域欄は岩手県花巻市石鳥谷町を示します。記録の寺林村は現在の石鳥谷町にあたる地域です。
塚の現在地は書かれていないため、地図で指せるのは町の範囲までです。
石鳥谷町周辺(いしどりやちょうしゅうへん)
日文研データベースが示す伝承地域
石鳥谷町周辺の所在地:岩手県花巻市石鳥谷町
記録は「寺林村光林寺の西の道」と記します。寺林は現在の花巻市石鳥谷町にあたります。
塚の現在地は資料に書かれていません。
赤子塚の正体と考えられているもの
赤子塚の正体は、塚です。
怪異にあたるのは、塚から経文のような赤子の声が聞こえたという一点です。
なぜ赤子が塚の中にいたのかは書かれていません。 埋められたのか、置かれたのかも記録されていません。
声を聞いた和尚が掘り、育てた。 この話は、怪異が一人の僧の由来として語り継がれた形をしています。
赤子塚が記録された資料
赤子塚を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『旅と伝説』の記事です。
『旅と伝説』は戦前の民俗雑誌で、各地の伝説を旅の記録として載せています。図書館の民俗学の棚が探し先です。
赤子塚が記録された民俗資料
奥羽巡杖記
中道等が『旅と伝説』2巻6号(1929年)に載せた中心資料です。
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赤子塚についてよくある質問
赤子塚とはどんな伝説ですか。
岩手県花巻市の塚の話です。古塚から経文を読むような赤子の声が聞こえ、掘ると赤子が生きていたと伝えられます。
その赤子はどうなりましたか。
和尚が育て、とても優秀で寺の跡を継ぎ、後に如幻和尚と名乗ったと記録されています。
なぜ塚に赤子がいたのですか。
記録されていません。埋められたのか置かれたのかも書かれていません。
如幻塚とは何ですか。
同じ塚の別の呼び名です。育った子の名にちなみます。
赤子塚と併せて覚えたい言葉・用語
如幻和尚(にょげんおしょう)
塚から出た赤子が育ってなった僧の名。塚の別名の由来です。
四畳敷(よじょうじき)
畳四枚ぶんの広さ。塚の大きさの目安として記録されています。
旅と伝説(たびとでんせつ)
戦前の民俗雑誌。赤子塚の記録が載りました。
赤子塚の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。