石川県金沢市の池。滅ぼされた富樫政親が馬ごと沈み、晴れた日に池底の鞍が見えるという。

池中の鞍とはどんな妖怪か
池中の鞍はひとことで言えば、沈んだ武将の鞍です。石川県金沢市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、京都下鴨村金澤生「池中の鞍」(『郷土研究』1巻2号、1913年、53頁)を典拠に、次のように記します。
長享2年6月8日、倉嶽村にある富樫政親の城を一向宗の僧徒が攻め、政親を滅ぼした。政親は馬諸共池に沈み、今でも晴れた日には池の底の鞍が見えるという。6月8日に限っては鞍が水面に浮き出るといわれている。
富樫政親は、加賀の守護です。長享2年(1488年)、一向一揆に攻められて滅びました。 加賀が「百姓の持ちたる国」となる出来事として、歴史に残ります。
池に沈んだ鞍が、晴れた日に見える。 そして、命日にあたる6月8日には浮き出るといいます。
池中の鞍の漢字表記と読み方
読みは「いけなかのくら」です。
鞍は、馬に乗るための道具です。武将の持ち物のなかでも、身分を示すものでした。
沈んだのは人と馬ですが、見えるのは鞍だけです。残された道具が、出来事を語ります。
池中の鞍(いけなかのくら)
日文研データベースが示す漢字表記。
イケナカノクラ(いけなかのくら)
同データベースの呼称読み。
池中の鞍の姿と特徴
この話に妖怪の姿はありません。記録にあるのは、池と鞍です。
場所 … 倉嶽村の池。
沈んだもの … 富樫政親と馬。
見えるとき1 … 晴れた日、池の底に鞍が見える。
見えるとき2 … 6月8日に限っては、鞍が水面に浮き出る。
霊が現れる、声がするという記述はありません。
見えるのは、鞍だけです。
池中の鞍の伝承記録
長享二年六月八日
日付がはっきりしています。長享2年6月8日(1488年)。
一向宗の僧徒が、倉嶽村にある富樫政親の城を攻めました。
政親は滅び、馬もろとも池に沈みました。
これは加賀一向一揆として知られる出来事です。守護が倒され、加賀は一向宗門徒の手に渡りました。
歴史の転換点が、池の話として土地に残っています。
池中の鞍の伝承地域
記録は倉嶽村と記します。公的データベースの地域欄は石川県金沢市です。
池の位置は書かれていないため、地図で指せるのは市の範囲までです。
池中の鞍の正体と考えられているもの
この話に妖怪は出てきません。語られているのは、滅んだ武将の名残です。
池に沈んだ鞍が見える——実際に何かが沈んでいたのかは分かりません。
歴史の出来事が、池の底の景として残りました。 福井の乱れ橋の幽霊は朝倉義景の妄念、この話は富樫政親の鞍。滅んだ側の記憶が、土地に留まっています。
残ったのは、日付と、水面に浮くという言い伝えです。
池中の鞍が記録された資料
池中の鞍を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『郷土研究』の記事です。
加賀一向一揆と富樫政親については、歴史の本が数多くあります。高尾城跡を扱った資料と併せて読むと、話の背景が見えてきます。
池中の鞍が記録された民俗資料
池中の鞍
『郷土研究』1巻2号(1913年)に載った中心資料です。
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池中の鞍についてよくある質問
池中の鞍とは何ですか。
石川県金沢市の池に伝わる話です。滅ぼされた富樫政親が馬ごと沈み、晴れた日に池底の鞍が見えるといわれました。
6月8日には何が起きるのですか。
その日に限って、鞍が水面に浮き出ると記録されています。政親が滅びた日にあたります。
富樫政親とは誰ですか。
加賀の守護です。長享2年(1488年)、一向一揆に攻められて滅びました。
池は今もありますか。
資料に位置の記載はありません。記録は倉嶽村と記すだけです。
池中の鞍と併せて覚えたい言葉・用語
富樫政親(とがしまさちか)
加賀の守護。長享2年に一向一揆に攻められて滅びました。
加賀一向一揆(かがいっこういっき)
一向宗門徒による蜂起。守護を倒し、加賀を長く支配しました。
鞍(くら)
馬に乗るための道具。池の底に見えるとされます。
池中の鞍の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。