茨城県石岡市の話。終戦直前に防空壕を掘ると、祟りを信じない隊長をはじめ多くの兵隊が腹痛を訴えた。

大塚山の祟りとはどんな妖怪か
大塚山の祟りは、掘れば必ず出るという障りです。茨城県石岡市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、今泉義文「石岡地方の伝説 続」(『茨城の民俗』茨城民俗学の会、1968年)を典拠に、大塚山は必ず祟るところであると記します。
信じない者にも出ました。
終戦直前ここに防空壕を掘るために、作業を始めると、迷信だと言って祟ることなど信じない隊長をはじめ、多くの兵隊が腹痛を訴えたと結ばれます。
この図鑑にはダイダラボッチ(茨城)も収めています。
大塚山の祟りの漢字表記と読み方
読みは「おおつかやまのたたり」です。
データベースの呼称(ヨミ)欄は「オオツカヤマ,タタリ」と二つを並べています。
「防空壕」は、空襲を避けるために掘った穴です。
「迷信」は、根拠のない言い伝えとして退けるときの言い方です。
この図鑑にはダイダラボッチ(茨城)も収めています。
大塚山,崇り(おおつかやま、たたり)
データベースの呼称(漢字)欄はこの表記を示します。
防空壕(ぼうくうごう)
記録が示すものです。空襲を避けるために掘った穴をいいます。
塚(つか)
土を盛った墓や記念の山をいいます。
大塚山の祟りの姿と特徴
大塚山の祟りの話は、記録に順を追って書かれています。
その場所 … 大塚山。
言われていること … 必ず祟るところである。
いつのこと … 終戦直前。
したこと … ここに防空壕を掘るために作業を始めた。
信じなかった人 … 迷信だと言って祟ることなど信じない隊長。
起きたこと … 隊長をはじめ、多くの兵隊が腹痛を訴えた。
何が祟ったのかは書かれていません。
大塚山の祟りの伝承記録
必ず祟る山
大塚山は必ず祟るところであるといいます。
言われていたのは掘る前からです。
終戦直前
終戦直前のことでした。
必要だったのは身を隠す場所です。
防空壕を掘る
ここに防空壕を掘るために、作業を始めました。
掘ったのは塚の山です。
信じない隊長
迷信だと言って祟ることなど信じない隊長がいました。
退けたのは言い伝えをです。
腹を訴える
隊長をはじめ、多くの兵隊が腹痛を訴えました。
出たのは掘った人みなにです。
大塚山の祟りの伝承地域
公的データベースの地域欄は茨城県、市郡名の欄は石岡市を示します。
話者として井坂正吉と浜幸之輔の名が記録に挙がっています。
大塚山の祟りの正体と考えられているもの
大塚山の祟りは、掘れば必ず出るという障りです。
姿の怪ではありません。 語られているのは、必ず祟る山とされていたことと、信じなかった隊長まで腹痛を訴えたことです。
塚や古い山に手を入れると障りがあるという話は、各地の塚に伝わります。
この図鑑にはダイダラボッチ(茨城)も収めています。
大塚山の祟りが登場する作品
大塚山の祟りを単独で扱った本は見当たりません。読めるのは県の民俗誌に載った報告です。
塚を掘ると障りがあるという話は各地にあり、工事や開墾のたびに語り直されてきました。
大塚山の祟りが登場する雑誌
茨城の民俗
茨城民俗学の会が出した雑誌です。1968年の通巻7号に石岡地方の伝説が載ります。
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大塚山の祟りについてよくある質問
大塚山の祟りとは何ですか。
茨城県石岡市の話で、大塚山は必ず祟るところだといわれ、掘った人たちが腹痛を訴えたというものです。
いつのことですか。
終戦直前のことだといいます。
なぜ掘ったのですか。
防空壕を作るためだといいます。
信じない人はどうなりましたか。
迷信だと言っていた隊長も腹痛を訴えたと記されています。
大塚山の祟りと併せて覚えたい言葉・用語
祟り(たたり)
神仏や霊の怒りによって災いが起きることです。
防空壕(ぼうくうごう)
空襲を避けるために掘った穴です。
石岡市(いしおかし)
茨城県の中部にある市です。常陸国の国府が置かれました。
大塚山の祟りの参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。