茨城県牛久市の話。非業の最期を遂げた権五郎の怨念で、その土地を作ると目を患うという。

Abasaa 「牛久沼(茨城県牛久市)」 2010年 / パブリックドメイン 出典
鎌倉権五郎の怨念とはどんな妖怪か
鎌倉権五郎の怨念は、土地に残った思いです。茨城県牛久市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、内田清司「稲敷の病人田(忌地)伝説」(『茨城の民俗』茨城民俗学の会、1985年)を典拠に、話者を坂本源一として、奥州征伐に向かった鎌倉権五郎が、非業の最期を遂げた場所だとされていると記します。
土地に出ます。
この地に果てた権五郎の怨念で、附近の土地を作ると目患をする。病人が出ると言って恐れられていたと結ばれます。
この図鑑にはダイダラボッチ(茨城)も収めています。
鎌倉権五郎の怨念の漢字表記と読み方
読みは「かまくらごんごろうのおんねん」です。
「鎌倉権五郎」は、平安後期の武士、鎌倉景政のことです。
「目患」は、目の病のことです。
「忌地」は、作ってはいけないとされる土地のことです。
この図鑑にはダイダラボッチ(茨城)も収めています。
鎌倉権五郎の怨念(かまくらごんごろうのおんねん)
日文研データベースが示す呼称です。
目患(めわずらい)
記録が示す語です。目の病のことをいいます。
忌地(いみち)
報告の題が示す語です。作ってはいけないとされる土地をいいます。
鎌倉権五郎の怨念の姿と特徴
鎌倉権五郎の怨念の話は、記録に短くまとめられています。
その人 … 鎌倉権五郎。
していたこと … 奥州征伐に向かっていた。
その場所 … 非業の最期を遂げた場所とされている。
残ったもの … 権五郎の怨念。
起きること … 附近の土地を作ると目患をする。
恐れられ方 … 病人が出るといわれた。
姿を見せるものではありません。
鎌倉権五郎の怨念の伝承記録
奥州へ向かう
鎌倉権五郎が奥州征伐に向かいました。
通ったのは常陸の地です。
非業の最期
この地が非業の最期を遂げた場所だとされています。
果てたのは戦の途中です。
残った怨念
この地に果てた権五郎の怨念が残ったといいます。
残ったのは思いです。
目を患う
附近の土地を作ると目患をするといいます。
出るのは耕した人にです。
恐れられた田
病人が出ると言って恐れられていました。
避けられたのはその土地です。
鎌倉権五郎の怨念の伝承地域
公的データベースの地域欄は茨城県、市郡名の欄は牛久市、区町村名の欄は牛久町を示します。
報告の題は稲敷の病人田(忌地)伝説で、作ると病人が出るとされた田を集めたものです。
鎌倉権五郎の怨念の正体と考えられているもの
鎌倉権五郎の怨念は、土地に残った思いです。
姿を見せるものではありません。 語られているのは、そこで果てたとされることと、耕すと目を患うことです。
権五郎は片目を射られた武士として知られ、目にまつわる話が各地にあります。
この図鑑にはダイダラボッチ(茨城)も収めています。
鎌倉権五郎の怨念が登場する作品
この話を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは県の民俗誌に載った報告です。
作ると病人が出る田の話は各地にあり、そこで死んだ人の思いと結びつけて語られます。
鎌倉権五郎の怨念が登場する雑誌
茨城の民俗
茨城民俗学の会が出した雑誌です。1985年の号に病人田の伝説が載ります。
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鎌倉権五郎の怨念についてよくある質問
鎌倉権五郎の怨念とは何ですか。
茨城県牛久市に伝わる、そこで果てたという武士の思いが土地に残ったという話です。
どんな災いがありますか。
附近の土地を作ると目患をする、病人が出るといわれたと記されています。
鎌倉権五郎とは誰ですか。
平安後期の武士、鎌倉景政のことです。
どこで語られていますか。
茨城県牛久市です。
鎌倉権五郎の怨念と併せて覚えたい言葉・用語
忌地(いみち)
作ってはいけないとされる土地のことです。
目患(めわずらい)
目の病のことです。
奥州征伐(おうしゅうせいばつ)
東北の勢力を討つための出兵のことです。
鎌倉権五郎の怨念の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。