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岐阜県

十三塚(じゅうさんづか)とはどんな妖怪か|姿と伝承

十三塚  / ジュウサンヅカ

幽霊と霊 各地の伝説

岐阜県揖斐川町で、雨の日に火の玉が見え、記憶をなくした人もいるという戦士の墓。

十三塚の姿を描いた図

先従隗始 「谷汲山華厳寺の参道(岐阜県揖斐郡揖斐川町)」 2023年 / CC0 出典

十三塚とはどんな妖怪か

十三塚はひとことで言えば、戦の跡に残った塚です。岐阜県揖斐郡揖斐川町の話です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、安浪香理,柴田操,岡田喜代子,田川尚美口承文芸」(『中京民俗』通巻27号、1990年、128頁)を典拠に、織田信長と斎藤道三の戦士が十三塚のあたりで戦って、そのときに亡くなった戦士の墓で、雨がしとしと降る日には火の玉が見えるという。あるおばあさんはこのあたりで記憶がなくなってしまった。戦士の霊によるものらしいと記します。

天気が決まっています。

雨がしとしと降る日です。 晴れた日とは書かれていません。

十三塚の漢字表記と読み方

読みは「じゅうさんづか」です。

十三塚は、十三の塚を並べて築いたものを指し、各地にあります。 戦の死者を葬ったと伝えるものが多くあります。

織田信長と斎藤道三が争ったのは戦国のなかばです。

この図鑑には古戦場火(各地)も収めています。そちらも戦の跡の火です。

十三塚(じゅうさんづか)

日文研データベースが示す呼称。

火の玉(ひのたま)

記録が併記する呼び名です。

十三塚の姿と特徴

十三塚に姿はありません。記録にあるのは、火の玉と、起きたことです。

塚の由来 … 織田信長と斎藤道三の戦士の墓。
戦った場所 … 十三塚のあたり。
見えるもの … 火の玉。
見える天気 … 雨がしとしと降る日。
起きたこと … あるおばあさんが、このあたりで記憶をなくした。
土地の見方 … 戦士の霊によるものらしい。

火の玉の色や大きさは書かれていません。

十三塚の伝承記録

  1. 戦士の墓
  2. 雨の日に火の玉
  3. 記憶をなくす

戦士の墓

織田信長と斎藤道三の戦士が十三塚のあたりで戦い、そのときに亡くなった戦士の墓です。

塚の名が、死者の数を思わせます。

雨の日に火の玉

雨がしとしと降る日には、火の玉が見えるといいます。

強い雨ではありません。

しとしとと書かれています。

記憶をなくす

あるおばあさんは、このあたりで記憶がなくなってしまいました。

戦士の霊によるものらしいといいます。

見るだけでは終わらない、実際に起きた出来事が添えられています。

十三塚の伝承地域

公的データベースの地域欄は岐阜県揖斐郡揖斐川町を示します。

揖斐川町は揖斐川の上流の山あいにあたります。

揖斐川町(いびがわちょう)

日文研データベースが示す伝承地域

地図で開く

揖斐川町の所在地:岐阜県揖斐郡揖斐川町

報告は中京大学民俗学研究会の中京民俗によります。

揖斐川の上流にあたります。

十三塚の正体と考えられているもの

十三塚は、戦の記憶が残った場所です

祟りという語は使われていません。 記されているのは、火の玉と、記憶をなくしたことだけです。

それでも、霊のしわざと受け取られています。

この図鑑には古戦場火(各地)も収めています。

十三塚が登場する作品

十三塚を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは大学の会誌です。

戦の跡に火が出る話は各地にあり、雨の日に結び付けて語られます。この図鑑には古戦場火(各地)も収めています。

十三塚が登場する学会誌

中京民俗

中京大学民俗学研究会の会誌です。1990年の号に口承文芸が載ります。

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十三塚についてよくある質問

十三塚とは何ですか。

岐阜県揖斐川町にあり、戦で亡くなった戦士の墓と伝わる塚です。

何が見えますか。

雨がしとしと降る日には火の玉が見えると記録されています。

何か起きましたか。

あるおばあさんがこのあたりで記憶をなくしたとされます。

誰の戦いですか。

織田信長と斎藤道三の戦士の戦いと記されています。

十三塚と併せて覚えたい言葉・用語

十三塚(じゅうさんづか)

十三の塚を並べて築いたもの。各地にあります。

斎藤道三(さいとうどうさん)

美濃を治めた戦国時代の武将です。

揖斐川(いびがわ)

岐阜県を流れ、伊勢湾にそそぐ川です。

十三塚の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「十三塚,火の玉」