岐阜県大垣市に伝わる竹。源義朝が青墓の宿を出るとき植え、頼朝の代に蘆竹になったという。

Monami 「円興寺の石段(岐阜県大垣市)」 2007年 / CC BY-SA 3.0 出典
蘆竹とはどんな妖怪か
蘆竹は、願をかけて植えられた竹です。岐阜県大垣市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、小寺融吉「植物の由来についての伝説」(『旅と伝説』三元社、1931年)を典拠に、源義朝は青墓の宿をでるときに1本の竹を植え、この竹に「源氏が栄えるなら蘆竹になれ」と言った。頼朝が天下統一を果たし、征夷大将軍になるころ、竹は本当に蘆竹になったと記します。
答えが出るまでに、代が変わっています。
植えたのは義朝、変わったのは頼朝の代です。
この図鑑には刀掛けの松(岐阜)も収めています。
蘆竹の漢字表記と読み方
読みは「あしたけ」です。
「蘆」は、水辺に生える背の高い草です。
「宿」は、街道の泊まり場のことです。
「征夷大将軍」は、武家の頭に与えられた位です。
この図鑑には刀掛けの松(岐阜)も収めています。
蘆竹(あしたけ)
日文研データベースが示す呼称です。
青墓(あおはか)
記録が示す、竹を植えた宿の名です。
蘆竹の姿と特徴
蘆竹の話は、記録に短く書かれています。
植えた人 … 源義朝。
そのとき … 青墓の宿をでるとき。
植えたもの … 1本の竹。
その言葉 … 「源氏が栄えるなら蘆竹になれ」。
変わった時期 … 頼朝が天下統一を果たし、征夷大将軍になるころ。
その結果 … 竹は本当に蘆竹になった。
竹の丈や場所の様子は書かれていません。
蘆竹の伝承記録
青墓の宿を出る
源義朝は青墓の宿をでるときに1本の竹を植えました。
残したのは竹一本です。
源氏が栄えるなら
この竹に「源氏が栄えるなら蘆竹になれ」と言いました。
託したのは言葉です。
頼朝の代に
頼朝が天下統一を果たし、征夷大将軍になるころ、竹は本当に蘆竹になりました。
変わったのは代が下ってからです。
蘆竹の伝承地域
公的データベースの地域欄は岐阜県、市郡名の欄は大垣市を示します。
記録が示す場所は青墓の宿で、今の大垣市青墓町にあたります。
蘆竹の正体と考えられているもの
蘆竹は、願をかけて植えられた竹です。
怪しいふるまいはありません。 語られているのは、植えたときの言葉と、その言葉どおりに変わったことです。
答えが出るまでに義朝から頼朝までの時が流れているところが、この話の形です。
この図鑑には刀掛けの松(岐阜)も収めています。
蘆竹が登場する作品
蘆竹を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは戦前の雑誌の報告です。
植えた木や竹が願のしるしになる話は各地にあり、逆さ杉や逆さ竹の名で語られます。
蘆竹が登場する雑誌
旅と伝説
三元社が出した雑誌です。1931年の号に植物の由来をめぐる伝説が載ります。
Amazonのアソシエイトとして、当サイトは適格販売により収入を得ています。
蘆竹についてよくある質問
蘆竹とは何ですか。
岐阜県大垣市に伝わる、源義朝が青墓の宿を出るときに植えたという竹です。
どんな言葉をかけましたか。
「源氏が栄えるなら蘆竹になれ」と言ったといいます。
いつ変わったのですか。
頼朝が天下統一を果たし、征夷大将軍になるころだといいます。
青墓とはどこですか。
今の岐阜県大垣市青墓町にあたる、東山道の宿場です。
蘆竹と併せて覚えたい言葉・用語
蘆(あし)
水辺に生える背の高い草です。
征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)
武家の頭に与えられた位です。
大垣市(おおがきし)
岐阜県の西部にある市です。
蘆竹の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。