愛媛県松山市のミミズク谷で庄屋の前に現れ、名を名乗って「五日にはここを通るな」と告げた婆。

赤大婆とはどんな妖怪か
赤大婆はひとことで言えば、男の名を名乗る婆です。愛媛県松山市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、森正史監修『あゆみ―忽那諸島の民俗―』8号(1968年、51頁)を典拠に、次のように記します。
神浦の庄屋が西中島からの帰り道にミミズク谷まで来ると、赤大婆が目の前に現れて、「わしは、杉田一衛門だ。月の5日にはここを通るな」と言った。庄屋は恐ろしくなり、逃げ帰った。
名乗りが不思議です。 姿は婆でありながら、名乗ったのは杉田一衛門という男の名です。
そして、日を限って通行を禁じています。 月の五日という具体的な日付が記録されています。
姿の細かい記述はありません。
赤大婆の漢字表記と読み方
読みは「あかおおばば」です。
「赤」「大」「婆」の三つが重なった名です。赤い色と大きさが、姿の手がかりになります。
ただし、記録に色や背丈の説明はありません。名から読み取れるだけです。
名乗った「杉田一衛門」との関係も書かれていません。
赤大婆(あかおおばば)
日文研データベースが示す漢字表記。
アカオオババ(あかおおばば)
同データベースの呼称読み。
赤大婆の姿と特徴
赤大婆の姿は、名から読み取るほかありません。
姿 … 婆。名に「赤」「大」が入る。
場所 … ミミズク谷。
言葉 … 「わしは、杉田一衛門だ。月の五日にはここを通るな」。
相手の反応 … 恐ろしくなって逃げ帰った。
顔つき、着物、背丈は記録されていません。
害を加えたという記述もありません。告げて、去ります。
赤大婆の伝承記録
婆が男の名を名乗る
記録でいちばん奇妙なのは、姿と名乗りが食い違う点です。
現れたのは婆。 しかし名乗ったのは杉田一衛門という男の名でした。
その人物が誰かは書かれていません。 土地に実在した人なのか、伝説の人物かも分かりません。
名乗るという行為は、香川の「オマンの母」にも見られます。 自分から素性を告げる怪異は、意外に多くありません。
「月の五日には通るな」
告げられたのは、月の五日にはここを通るなという禁止です。
日を限った禁止である点が具体的です。毎日ではなく、月に一度の日が指定されています。
理由は書かれていません。 その日に何があるのか、破るとどうなるのかも記録されていません。
庄屋は恐ろしくなって逃げ帰りました。 追われたという記述はなく、告げられただけです。
赤大婆の伝承地域
公的データベースの地域欄は愛媛県松山市を示します。報告は忽那諸島の民俗を扱ったものです。
ミミズク谷の位置は書かれていないため、地図で指せるのは諸島の範囲までです。
忽那諸島(くつなしょとう)
日文研データベースが示す伝承地域
忽那諸島の所在地:愛媛県松山市
『あゆみ―忽那諸島の民俗―』の報告で、地域欄は松山市を示します。
資料にはミミズク谷の位置が書かれていません。
赤大婆の正体と考えられているもの
赤大婆の正体は確定していません。
名乗った杉田一衛門が何者かは、記録に書かれていません。婆の姿で男の名を名乗る理由も分かりません。
害を加えず、日を限った禁止だけを告げます。 その振る舞いは、妖怪というより土地の決まりを告げる者に近い形です。
分かっているのは、ミミズク谷・婆の姿・杉田一衛門という名・月の五日、という四つだけです。
赤大婆が記録された資料
赤大婆を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『あゆみ―忽那諸島の民俗―』です。
忽那諸島は松山市沖の島々です。島ごとの言い伝えをまとめた報告で、県内の図書館の郷土資料が探し先になります。
赤大婆が記録された民俗資料
あゆみ―忽那諸島の民俗―
森正史監修で1968年に出た報告書です。赤大婆の記録が載ります。
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赤大婆についてよくある質問
赤大婆とはどんな妖怪ですか。
愛媛県松山市のミミズク谷で庄屋の前に現れた婆です。名を名乗り、月の五日にはここを通るなと告げました。
なぜ男の名を名乗るのですか。
理由は記録されていません。姿は婆で、名乗ったのは杉田一衛門という男の名です。
通るとどうなりますか。
記録されていません。禁止を告げられたところまでが伝えられています。
ミミズク谷はどこですか。
資料に位置の記載はありません。日文研データベースの地域欄は松山市を示します。
赤大婆と併せて覚えたい言葉・用語
忽那諸島(くつなしょとう)
松山市沖の島々。報告が扱う地域です。
庄屋(しょうや)
村の長にあたる役。この話で赤大婆に出会った人物です。
オマンの母(おまんのはは)
香川県の妖怪。同じく自分から名乗って現れます。
赤大婆の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。