千葉県睦沢町で人柱にされた乞食。埋めた場所から生えた梅の実は果肉が欠けていた。

おな乞食とはどんな妖怪か
おな乞食はひとことで言えば、食べかけの梅を残した人柱です。千葉県長生郡睦沢町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、藤澤衛彦「梅品の多趣と其概念と名所伝説」(『旅と伝説』2号、1928年、42頁)を典拠に、堰の堤がしばしば決壊するので、人柱をたてることになった。村人が堤で生梅を食べるおな乞食を見つけ、それを捕らえて人柱として埋めた。以来、堤が決壊することはなかった。そこから生えた梅の木の実は果肉が削げ落ちていて、食いかけの梅と言われたと記します。
「人柱」は堤や橋を守るために人を生き埋めにする習わしです。
選ばれたのは、たまたま通りかかった者でした。
そして、食べかけの梅が木になりました。
おな乞食の漢字表記と読み方
読みは「おなこじき」です。
「おな」の意味は記録されていません。
この図鑑には、山梨のオナン淵も収めています。 そちらの「オナン」は下女の名です。
「人柱」の話は各地にあり、堤・橋・城にまつわるものが知られます。
おな乞食(おなこじき)
日文研データベースが示す表記。
食いかけの梅(くいかけのうめ)
生えた梅の実の呼び名。
おな乞食の姿と特徴
この記録に妖怪の姿はありません。あるのは、出来事と、残った木です。
きっかけ … 堰の堤がしばしば決壊した。
決めたこと … 人柱をたてる。
選ばれた人 … 堤で生梅を食べていたおな乞食。
したこと … 捕らえて人柱として埋めた。
その後1 … 堤が決壊することはなくなった。
その後2 … そこから生えた梅の実は果肉が削げ落ちていた。
霊が現れたという記述はありません。
おな乞食の伝承記録
生梅を食べていた
堰の堤が、しばしば決壊しました。
そこで、人柱をたてることになりました。
村人が探すと、堤で生梅を食べるおな乞食がいました。
それを捕らえて、人柱として埋めました。
選ばれた理由は、そこにいたことだけです。
食いかけの梅
以来、堤が決壊することはありませんでした。
そして、そこから梅の木が生えました。
その実は、果肉が削げ落ちていました。
人々は「食いかけの梅」と呼びました。
埋められたときに食べていた梅が、木になって形を残したという語りです。
おな乞食の伝承地域
公的データベースの地域欄は千葉県長生郡睦沢町を示します。
堤や梅の木の位置は書かれていないため、地図で指せるのは町の範囲までです。
おな乞食の正体と考えられているもの
この記録に妖怪は出てきません。語られているのは、人柱にされた者の跡です。
祟ったとは書かれていません。
残ったのは、果肉の欠けた梅の実です。
恨みではなく、食べかけという形で記憶されています。
藤澤衛彦の記事は、梅を主題にした連載の一部です。
おな乞食が記録された資料
おな乞食を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『旅と伝説』の記事です。
題のとおり、梅にまつわる伝説を集めた記事で、各地の梅の話が並びます。人柱の話をまとめた本と併せて読むと、この話の位置が見えてきます。
おな乞食が記録された民俗資料
梅品の多趣と其概念と名所伝説
藤澤衛彦が『旅と伝説』2号(1928年)に載せた中心資料です。
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おな乞食についてよくある質問
おな乞食とは何ですか。
千葉県睦沢町で、堤の人柱にされたとされる乞食です。
なぜ選ばれたのですか。
堤で生梅を食べていたところを村人に見つけられ、捕らえられたと記録されています。
食いかけの梅とは何ですか。
埋めた場所から生えた梅の実で、果肉が削げ落ちていたとされます。
堤はどうなりましたか。
以来、決壊することはなかったと記録されています。
おな乞食と併せて覚えたい言葉・用語
人柱(ひとばしら)
堤や橋を守るために人を生き埋めにする習わしです。
堰(せき)
水をせき止める仕掛け。その堤が決壊しました。
藤澤衛彦(ふじさわもりひこ)
伝説の研究者。この記事の筆者です。
おな乞食の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。