愛知県美浜町で、正月に餅を食べると疫病が流行した。以来、一月十五日に蒸し米と煮豆を食べる。

Bariston 「野間大坊 大御堂寺の本堂(愛知県知多郡美浜町)」 2018年 / CC BY-SA 4.0 出典
義朝の祟りとはどんな妖怪か
義朝の祟りは、餅を絶った村の習わしです。愛知県知多郡美浜町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、町史編纂委員会「内扇の風呂と義朝の霊」(『みなみ』南知多町郷土研究会、1975年)を典拠に、『野間町史』を引いて、師走二十八日に義朝が逃げて野間村を通る際、餅が搗き上がるのを待てず蒸し米の状態で食べた。翌年になって村民が餅を食べると疫病が流行した。これを義朝の祟りとして正月には餅を食べず、一月十五日に蒸し米に煮豆を添えて食べるようになったと記します。
同じものを食べています。
村では正月に餅を食べず、蒸し米に煮豆を添えて食べるようになりました。
この図鑑には六兵衛狐(愛知)も収めています。
義朝の祟りの漢字表記と読み方
読みは「よしとものたたり」です。
「師走」は十二月のことです。
「搗き上がる」は、餅がつき終わることです。
「疫病」は、はやり病のことです。
この図鑑には六兵衛狐(愛知)も収めています。
義朝の祟り(よしとものたたり)
日文研データベースが示す呼称。
野間村(のまむら)
記録が示す旧村名。いまの美浜町の一部です。
義朝の祟りの姿と特徴
義朝の祟りの話は、記録に順を追って書かれています。
その日 … 師走二十八日。
その人 … 逃げていた義朝。
通った場所 … 野間村。
したこと … 餅が搗き上がるのを待てず蒸し米の状態で食べた。
翌年のこと … 村民が餅を食べた。
起きたこと … 疫病が流行した。
村の受け止め … 義朝の祟り。
決めたこと(一) … 正月には餅を食べない。
決めたこと(二) … 一月十五日に蒸し米に煮豆を添えて食べる。
義朝の姿は書かれていません。
義朝の祟りの伝承記録
師走二十八日
師走二十八日に義朝が逃げて野間村を通りました。
通ったのは年の暮れです。
蒸し米で食べる
餅が搗き上がるのを待てず蒸し米の状態で食べました。
待てなかったのは餅です。
疫病が流行る
翌年になって村民が餅を食べると疫病が流行しました。
広がったのは病です。
餅を絶つ
これを義朝の祟りとして正月には餅を食べず、一月十五日に蒸し米に煮豆を添えて食べるようになりました。
やめたのは餅です。
義朝の祟りの伝承地域
公的データベースの地域欄は愛知県、市郡名の欄は知多郡、区町村名の欄は美浜町を示します。
論文名は内扇の風呂と義朝の霊です。
義朝の祟りの正体と考えられているもの
義朝の祟りは、餅を絶った村の習わしです。
姿は出てきません。 語られているのは、何が起きたかと、村が何をやめたかです。
義朝が食べたのと同じ蒸し米を村も食べるという、なぞらえ方です。
この図鑑には六兵衛狐(愛知)も収めています。
義朝の祟りが登場する作品
義朝の祟りを単独で扱った本は見当たりません。読めるのは郷土研究会の会誌です。
正月に餅を食べない村は各地にあり、土地にゆかりの人の故事を理由として語ります。
義朝の祟りが登場する郷土誌
みなみ
南知多町郷土研究会の会誌です。1975年の号に内扇の風呂と義朝の霊が載ります。
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義朝の祟りについてよくある質問
義朝の祟りとは何ですか。
愛知県美浜町で、正月に餅を食べると疫病が流行したという話です。
いつのことですか。
義朝が野間村を通ったのは師走二十八日と記録されています。
義朝は何をしたのですか。
餅が搗き上がるのを待てず、蒸し米の状態で食べました。
村はどうしましたか。
正月には餅を食べず、一月十五日に蒸し米に煮豆を添えて食べるようになりました。
義朝の祟りと併せて覚えたい言葉・用語
師走(しわす)
十二月のことです。
疫病(えきびょう)
はやり病のことです。
野間(のま)
愛知県美浜町の地区の名です。
義朝の祟りの参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。