東京都千代田区で、小侍に憑いて自ら名乗り、木像が現れ、供え物が半分減ったという稲荷。

森川稲荷とはどんな妖怪か
森川稲荷は、客を招いた稲荷です。東京都千代田区の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、塵哉翁「巷街贅説」(『続日本随筆大成別巻』吉川弘文館、1983年)を典拠に、文政10年2月11日の初午祭の前日夜に、新道一番町で小侍幸吉が主に向かって、自分は同所に住む稲荷であるという。翌日主人が起き出して扉をあけると、稲荷の木像がどこからか来ていた。それ以後は幸吉にのみ神の示現があり、願い事は幸吉が取り次いだという。3月1日に当主や若殿が神前に神酒を奉ると、暫くして酒はなくなり、お供え物も半分無くなっていた。これは三光院いなりや腰掛稲荷が客として来たからだろうというと記します。
客が来ています。
供え物が半分減ったのは、三光院いなりや腰掛稲荷が客として来たからだろうというのです。
森川稲荷の漢字表記と読み方
読みは「もりかわいなり」です。
「文政十年」は西暦一八二七年にあたります。
「初午祭」は二月最初の午の日に稲荷をまつる祭りです。
「示現」は、神仏が姿や言葉を現すことです。
「小侍」は、身分の低い若い侍のことです。
森川稲荷(もりかわいなり)
日文研データベースが示す呼称。
三光院いなり(さんこういんいなり)
記録が客として挙げる稲荷の名です。
腰掛稲荷(こしかけいなり)
記録が客として挙げる稲荷の名です。
森川稲荷の姿と特徴
森川稲荷の話は、記録に順を追って書かれています。
いつ … 文政十年二月十一日の初午祭の前日夜。
どこで … 新道一番町。
その人 … 小侍幸吉。
言ったこと … 自分は同所に住む稲荷である。
翌日 … 主人が扉をあけると稲荷の木像がどこからか来ていた。
それ以後 … 幸吉にのみ神の示現があり、願い事は幸吉が取り次いだ。
三月一日 … 当主や若殿が神前に神酒を奉った。
起きたこと … 暫くして酒はなくなり、お供え物も半分無くなっていた。
その見立て … 三光院いなりや腰掛稲荷が客として来たから。
稲荷の姿かたちは書かれていません。
森川稲荷の伝承記録
小侍が名乗る
初午祭の前日夜に、新道一番町で小侍幸吉が主に向かって、自分は同所に住む稲荷であるといいました。
名乗ったのは人の口からです。
木像が来ている
翌日主人が起き出して扉をあけると、稲荷の木像がどこからか来ていました。
現れたのは像です。
幸吉が取り次ぐ
それ以後は幸吉にのみ神の示現があり、願い事は幸吉が取り次いだといいます。
窓口が一人に定まりました。
供え物が半分減る
神酒を奉ると、暫くして酒はなくなり、お供え物も半分無くなっていました。三光院いなりや腰掛稲荷が客として来たからだろうといいます。
減った分は客のためとされました。
森川稲荷の伝承地域
公的データベースの地域欄は東京都千代田区を示します。
記録は新道一番町と書いています。
森川稲荷の正体と考えられているもの
森川稲荷は、人に憑いて名乗った稲荷です。
害をなす話ではありません。 語られているのは、名乗ったことと、木像が現れたこと、そして客が来たことです。
近くの稲荷どうしが行き来するという考え方が表れています。
森川稲荷が登場する作品
森川稲荷を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは続日本随筆大成に収められた巷街贅説です。
屋敷神の稲荷が人に憑いて名乗る話は江戸の随筆に折々書き留められています。
森川稲荷が登場する随筆
巷街贅説
塵哉翁の随筆。続日本随筆大成別巻に収められています。
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森川稲荷についてよくある質問
森川稲荷とは何ですか。
東京都千代田区で、小侍に憑いて名乗ったと語られる稲荷です。
いつのことですか。
文政十年二月十一日の初午祭の前日夜と記録されています。
木像はどうしたのですか。
翌日、扉をあけるとどこからか来ていたといいます。
供え物が減ったのはなぜですか。
三光院いなりや腰掛稲荷が客として来たからだろうといいます。
森川稲荷と併せて覚えたい言葉・用語
初午祭(はつうまさい)
二月最初の午の日に稲荷をまつる祭りです。
示現(じげん)
神仏が姿や言葉を現すことです。
小侍(こざむらい)
身分の低い若い侍のことです。
森川稲荷の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。