滋賀県大津市の延暦寺竹林院で、開けた家人も主も死んだと伝わる開かずの間。

開かざる間とはどんな妖怪か
開かざる間はひとことで言えば、何もない部屋です。滋賀県大津市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、柳原紀光「閑窓自語」(『日本随筆大成第二期』8巻、1974年、299頁)を典拠に、延暦寺に竹林院という坊があり、そこに児かやと言う開かない部屋があった。宝暦7年に行われた法花会の時に、この坊に宿泊した権右中弁敬明が自分の家人にこの部屋を開けさせてみたが、中は暗く、何もなかった。家人はただ冷気を感じてたちまち病気となり、家に帰るとそのまま死んでしまったという。敬明も数月後に死んでしまったと記します。
中には何もありませんでした。
それでも二人が死んでいます。 起きたのは冷気を感じたということだけです。
開かざる間の漢字表記と読み方
読みは「ひらかざるま」です。
法花会は、法華経を講じる法会のことです。 宝暦七年は西暦一七五七年にあたります。
権右中弁は朝廷の役職の名です。
どれも開けた者に及びます。
開かざる間(ひらかざるま)
日文研データベースが示す呼称。
児かや(ちごかや)
記録が示す部屋の呼び名です。
開かざる間の姿と特徴
開かざる間に姿はありません。記録にあるのは、部屋と、その後です。
場所 … 延暦寺の竹林院。
部屋の名 … 児かや。
開けた年 … 宝暦七年。
開けさせた人 … 権右中弁敬明。
中の様子 … 暗く、何もなかった。
起きたこと … 家人は冷気を感じて病み、家に帰って死んだ。
敬明も数月後に死にました。
開かざる間の伝承記録
開かない部屋
延暦寺に竹林院という坊があり、そこに児かやと言う開かない部屋がありました。
なぜ開かないかは書かれていません。
開けさせる
宝暦7年に行われた法花会の時に、この坊に宿泊した権右中弁敬明が、自分の家人にこの部屋を開けさせてみました。
自分では開けていません。 家人に開けさせています。
中は暗く、何もありませんでした。
二人が死ぬ
家人はただ冷気を感じてたちまち病気となり、家に帰るとそのまま死んでしまいました。
敬明も数月後に死んでしまいました。
開けさせた側にも、同じことが及んでいます。
開かざる間の伝承地域
公的データベースの地域欄は滋賀県大津市を示します。
延暦寺は比叡山の上にあり、大津市坂本本町に本坊があります。
開かざる間の正体と考えられているもの
開かざる間は、開けてはいけない部屋です。
祟りという語は使われていません。 記されているのは、冷気と、その後の死だけです。
それでも、何もなかったと書かれています。
この図鑑には開かずの間の話をほかにも収めています。
開かざる間が登場する作品
開かざる間を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは随筆の叢書です。
開かずの間の話は寺や屋敷に多く、開けた者が死ぬという形をとります。この図鑑には開かずの間の話をほかにも収めています。
開かざる間が登場する随筆
日本随筆大成第二期
吉川弘文館の叢書です。8巻に閑窓自語が収められています。
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開かざる間についてよくある質問
開かざる間とは何ですか。
滋賀県大津市の延暦寺竹林院にあったとされる、開けない部屋です。
中には何がありましたか。
暗く、何もなかったと記録されています。
開けた人はどうなりましたか。
家人は冷気を感じて病み、家に帰って死んだとされます。
開けさせた人はどうなりましたか。
権右中弁敬明も数月後に死んだと記されています。
開かざる間と併せて覚えたい言葉・用語
法花会(ほっけえ)
法華経を講じる法会のことです。
竹林院(ちくりんいん)
延暦寺の坊の一つです。
宝暦(ほうれき)
江戸時代の年号。宝暦七年は西暦一七五七年です。
開かざる間の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。