大阪府大阪市の石屋にあり、片づけようとすると祟りがあったという碑。

inoue-hiro 「靱公園のイチョウ並木(大阪府大阪市西区)」 2006年 / CC BY-SA 3.0 出典
小楠公の碑とはどんな妖怪か
小楠公の碑はひとことで言えば、出どころの分からなくなった碑です。大阪府大阪市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、西田直養「筱舎漫筆」(『日本随筆大成第二期』3巻、1974年、254頁)を典拠に、大坂の西横堀の石屋に、小楠公の碑というものがある。誰が建てたかが分からず、最近石屋の亭主が死んだのでまったく分からなくなった。しかし戸口の邪魔になるのでかたづけようとしたら祟りがあったという。その後見なくなったと記します。
碑そのものも消えています。
由来が分からなくなり、祟りがあり、その後見なくなりました。 三つとも失われる話です。
小楠公の碑の漢字表記と読み方
読みは「しょうなんこうのひ」です。
小楠公は楠木正行のことで、父の正成を大楠公と呼びます。 南北朝の武将です。
西横堀は、大坂の堀のひとつでした。
どれも片づけようとして起きます。
小楠公の碑(しょうなんこうのひ)
日文研データベースが示す呼称。
小楠公(しょうなんこう)
楠木正行を指す呼び名です。
小楠公の碑の姿と特徴
小楠公の碑に姿はありません。記録にあるのは、碑とその行方です。
あった場所 … 大坂の西横堀の石屋。
分からないこと … 誰が建てたか。
分からなくなった理由 … 石屋の亭主が死んだこと。
片づけようとした理由 … 戸口の邪魔になる。
起きたこと … 祟りがあった。
その後 … 見なくなった。
碑の大きさや文字は書かれていません。
小楠公の碑の伝承記録
石屋にある碑
大坂の西横堀の石屋に、小楠公の碑というものがあります。
寺でも墓でもなく、石屋の店先です。
由来が分からなくなる
誰が建てたかが分からず、最近石屋の亭主が死んだので、まったく分からなくなりました。
知っていた人が、いなくなりました。
片づけようとして祟る
しかし戸口の邪魔になるので、かたづけようとしたら祟りがありました。
その後、見なくなりました。
祟った碑が、やがて消えています。
小楠公の碑の伝承地域
公的データベースの地域欄は大阪府大阪市を示します。
西横堀川は今は埋め立てられ、阪神高速の下になっています。
小楠公の碑の正体と考えられているもの
小楠公の碑は、由来を失ってなお祟った石です。
祟りという語が、この記録では使われています。
碑そのものは、その後見なくなりました。
この図鑑には動かすと祟るものの話をほかにも収めています。
小楠公の碑が登場する作品
小楠公の碑を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは随筆の叢書です。
動かすと祟る石の話は各地にあり、由来の分からないものほど恐れられました。この図鑑には動かすと祟るものの話をほかにも収めています。
小楠公の碑が登場する随筆
日本随筆大成第二期
吉川弘文館の叢書です。3巻に筱舎漫筆が収められています。
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小楠公の碑についてよくある質問
小楠公の碑とは何ですか。
大阪の西横堀の石屋にあったとされる碑です。
誰が建てましたか。
分からず、石屋の亭主が死んでまったく分からなくなったとされます。
何が起きましたか。
片づけようとしたら祟りがあったと記録されています。
今はありますか。
その後見なくなったと記されています。
小楠公の碑と併せて覚えたい言葉・用語
小楠公(しょうなんこう)
楠木正行のこと。父の正成は大楠公と呼ばれます。
西横堀(にしよこぼり)
大坂にあった堀。今は埋め立てられています。
筱舎漫筆(しょうしゃまんぴつ)
西田直養が書いた江戸時代の随筆です。
小楠公の碑の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。