大阪府大阪市天王寺区で、四天王寺の東門外に住み、聖霊会に烏帽子で出るという物部守屋の子孫。

守屋の末孫とはどんな妖怪か
守屋の末孫は、敗れた側の子孫です。大阪府大阪市天王寺区の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、著者未詳「浪華百事談」(『日本随筆大成第三期』吉川弘文館、1976年)を典拠に、ある人によれば、物部守屋の末孫の家が四天王寺東門外に今もあるという。末孫は、四天王寺聖霊会の時、素袍袴を着て烏帽子を被り、六時堂の階の下に出ると聞くと記します。
出る場所が決まっています。
聖霊会のとき、六時堂の階の下に出ると聞く、というのです。
守屋の末孫の漢字表記と読み方
読みは「もりやのばっそん」です。
物部守屋は、仏教を受け入れることに反対して聖徳太子らに滅ぼされた豪族です。
「聖霊会」は四天王寺で聖徳太子をまつる法会です。
「素袍」は武家の平服、「烏帽子」はかぶりものです。
「末孫」は遠い子孫のことです。
守屋の末孫(もりやのばっそん)
日文研データベースが示す呼称。
物部守屋(もののべのもりや)
記録が示す先祖の名です。
守屋の末孫の姿と特徴
守屋の末孫のことは、記録に短く書かれています。
その家 … 物部守屋の末孫の家。
あるところ … 四天王寺東門外。
いつのこと … 今もある。
出るとき … 四天王寺聖霊会の時。
着るもの … 素袍袴。
かぶるもの … 烏帽子。
出る場所 … 六時堂の階の下。
末孫の名は書かれていません。
守屋の末孫の伝承記録
東門外の家
物部守屋の末孫の家が四天王寺東門外に今もあるといいます。
寺の外にあります。
聖霊会に出る
末孫は、四天王寺聖霊会の時に出ます。
出るのは太子の法会です。
素袍袴に烏帽子
素袍袴を着て烏帽子を被ります。
装いが決まっています。
六時堂の階の下
六時堂の階の下に出ると聞くといいます。
位置は階の下でした。
守屋の末孫の伝承地域
公的データベースの地域欄は大阪府大阪市天王寺区を示します。
記録は四天王寺東門外と書いています。
守屋の末孫の正体と考えられているもの
守屋の末孫は、敗れた側の子孫として語られた家です。
化けものではありません。 語られているのは、どこに住むかと、いつどこに出るかです。
滅ぼした側の法会に、滅ぼされた側の子孫が装いを整えて出るという筋が、この話の要です。
守屋の末孫が登場する作品
守屋の末孫を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは日本随筆大成に収められた浪華百事談です。
敗れた者の子孫が寺の行事に出る話は各地にあり、鎮魂のかたちとして語られます。
守屋の末孫が登場する随筆
浪華百事談
著者未詳の随筆。日本随筆大成第三期に収められています。
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守屋の末孫についてよくある質問
守屋の末孫とは何ですか。
大阪市天王寺区で、物部守屋の子孫と語られた家です。
どこにあるのですか。
四天王寺東門外に今もあるといいます。
いつ出るのですか。
四天王寺聖霊会の時と記録されています。
どんな姿ですか。
素袍袴を着て烏帽子を被り、六時堂の階の下に出ると聞くといいます。
守屋の末孫と併せて覚えたい言葉・用語
物部守屋(もののべのもりや)
仏教の受容に反対して滅ぼされた豪族です。
聖霊会(しょうりょうえ)
四天王寺で聖徳太子をまつる法会です。
素袍(すおう)
武家の平服のことです。
守屋の末孫の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。