大阪府富田林市に伝わる龍。封じられてなお旱を起こし、弘法大師が龍王を祀ると清水が湧いた。

悪龍とはどんな妖怪か
悪龍はひとことで言えば、旱を起こし続けた龍です。大阪府富田林市の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、澱江畔人「上方伝説行脚」(『郷土研究上方』1巻9号、1931年、86頁)を典拠に、次のように記します。
推古天皇2年、蘇我馬子らが神呪を誦して悪龍を封じた。ところが、悪龍の執念は深く、その後も度々旱天をもたらしては人々を困らせた。弘法大師がこの地を踏んだ際、龍王を祀ったため悪龍も感じ入り、地下から清水が湧き出して周辺の土地は元通り潤った。
封じるだけでは収まりませんでした。 祀ることで収まったという筋です。
推古天皇二年は594年、弘法大師(空海)は平安初期の僧です。二百年をへだてた二つの出来事が、一つの話に並んでいます。
悪龍の漢字表記と読み方
読みは「あくりゅう」です。
龍は、水を司るものとされてきました。 雨を降らせるのも、降らせないのも龍の力です。
「悪」の字が付くのは、旱をもたらす側の龍だからです。祀られたのちは、清水を湧かせています。
悪龍(あくりゅう)
日文研データベースが示す漢字表記。
アクリュウ(あくりゅう)
同データベースの呼称読み。
悪龍の姿と特徴
悪龍の姿は記録されていません。分かるのは、その働きです。
封じた者 … 蘇我馬子ら。神呪を誦して封じた。
その後 … 度々、旱天をもたらす。
転機 … 弘法大師が龍王を祀った。
結果 … 悪龍も感じ入り、地下から清水が湧いた。
姿・大きさ・色は書かれていません。
現れるのは、雨が降らないという形です。
悪龍の伝承記録
封じても、旱は続いた
最初に封じたのは蘇我馬子らとされます。推古天皇二年(594年)のことです。
神呪(じんじゅ)は、神仏に唱える呪文です。それを誦して封じました。
しかし収まりません。 執念は深く、その後も度々旱天をもたらしたといいます。
旱は、農村にとって最も重い災いです。田が干上がれば、村が立ちゆきません。
祀ることで、清水が湧く
転機は、弘法大師がこの地を踏んだときに訪れます。
大師は龍王を祀りました。封じるのではなく、祀るという方法です。
すると悪龍も感じ入り、地下から清水が湧き出して周辺の土地は元通り潤いました。
押さえ込むのではなく、迎え入れる。 祀られた龍は、水をもたらす側に回ります。
弘法大師が水を湧かせる話は、各地に数多く残ります。 この話も、その系列に置けます。
悪龍の伝承地域
公的データベースの地域欄は大阪府富田林市を示します。
清水の湧いた場所や龍王を祀った社の名は書かれていないため、地図で指せるのは市の範囲までです。
富田林市周辺(とんだばやししゅうへん)
日文研データベースが示す伝承地域
富田林市周辺の所在地:大阪府富田林市
「上方伝説行脚」の地域欄に対応します。
清水が湧いたとされる場所は、資料に書かれていません。
悪龍の正体と考えられているもの
悪龍の正体は、龍です。水を司るものとして語られています。
封じられても収まらず、祀られて収まりました。 この筋は、荒ぶるものを神として迎えるという考え方を表しています。
蘇我馬子と弘法大師という、二百年をへだてた二人が同じ話に出てきます。史実の並びとしては離れていますが、土地では一続きの由来として語られました。
残ったのは、湧き出した清水です。
悪龍が記録された資料
悪龍を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは『郷土研究上方』の記事です。
弘法大師の水の伝説は全国にあり、まとめた本も出ています。併せて読むと、この話の型が見えてきます。
悪龍が記録された民俗資料
上方伝説行脚
澱江畔人が『郷土研究上方』1巻9号(1931年)に載せた中心資料です。
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悪龍についてよくある質問
悪龍とは何ですか。
大阪府富田林市に伝わる龍です。封じられてなお旱をもたらし、弘法大師が龍王を祀ると清水が湧いたと伝えられます。
誰が封じたのですか。
推古天皇二年に蘇我馬子らが神呪を誦して封じたと記録されています。
どうやって収まったのですか。
弘法大師が龍王を祀ったところ、悪龍も感じ入り、地下から清水が湧いたとされます。
姿は分かっていますか。
分かっていません。記録にあるのは、旱をもたらしたという働きだけです。
悪龍と併せて覚えたい言葉・用語
神呪(じんじゅ)
神仏に唱える呪文。蘇我馬子らが誦して封じたとされます。
旱天(かんてん)
雨が降らず日照りが続くこと。悪龍がもたらしたとされます。
龍王(りゅうおう)
水を司る龍の神。弘法大師が祀ったとされます。
悪龍の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。