宮崎県延岡で、雨の降る晩に二つ現れるという怪火。筬の貸し借りで争って死んだ二人の女の火とされる。

Sanjo 「延岡城の北大手門(宮崎県延岡市東本小路)」 2010年 / CC BY-SA 3.0 出典
筬火とはどんな妖怪か
筬火はひとことで言えば、二つで現れて喧嘩をする火です。宮崎県延岡の話です。
出るのは雨の降る晩とされます。火は一つではなく二つで、たがいに争うように動くと語られました。
名の由来もはっきりしています。筬(おさ)は機織りの道具で、織り糸を整える櫛のような部品です。その筬を「返した」「返していない」と言い争った二人の女が、争ううちに池へ落ちて死んだ。だから今も二つの火が現れて喧嘩をするのだ、と伝えられました。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、この話を二つの記録から収めています。一つは柳田國男の「妖怪名彙(六)」(『民間伝承』4巻6号、1939年)、もう一つは泉毅一郎『延岡雑談』(延岡新聞社、1931年)です。柳田の記事も『延岡雑談』を引いています。
姿は語られません。大きさ、色、高さ、近づいたときにどうなるかは、いずれの記録にも書かれていません。残っているのは、雨の晩・二つの火・喧嘩・筬という四つの手がかりだけです。
筬火の漢字表記と読み方
読みは「おさび」です。
「筬」は機織りの道具の名です。縦糸を一本ずつ通してそろえ、横糸を打ち込むのに使う、櫛の歯のような部品を指します。機織りが家の仕事だった土地では、筬は貸し借りされる道具でした。
その道具の名がそのまま火の名になっている点が、この怪火の特徴です。火の色や形ではなく、争いのもとになった道具が名に残りました。
筬火(おさび)
日文研データベースが示す漢字表記。
おさ火(おさび)
『延岡雑談』側の記録での書き方。
オサビ(おさび)
同データベースの呼称読み。
筬火の姿と特徴
筬火の姿として記録されているのは、雨の晩に現れる二つの火という一点だけです。
数 … かならず二つ。
天気 … 雨の降る晩。
動き … たがいに喧嘩をするように見える。
顔、手足、人の形は書かれていません。火が人の姿になるとも、声を出すとも記されていません。
二つあること、そしてその二つが争うことが、ほかの怪火とこの火を分けています。同じ宮崎県内に伝わるほかの火の怪異と比べても、「二つで争う」という形は珍しいものです。
筬火の伝承記録
柳田國男「妖怪名彙」が拾った延岡の火
筬火を確認できる中心資料は、柳田國男の「妖怪名彙(六)」です。日文研データベースによれば、『民間伝承』4巻6号(民間伝承の会、1939年3月1日発行)の16頁にあります。
「妖怪名彙」は、各地の妖怪の呼び名を短く並べて紹介した連載です。一つひとつの記事は数行しかありません。筬火もその一つで、長い物語としてではなく、土地の呼び名として記録されました。
柳田の記事は、話の出どころとして『延岡雑談』を挙げています。もとの本を引いて名を集めた、という形です。
『延岡雑談』が伝える、筬をめぐる争い
もう一つの記録が、泉毅一郎『延岡雑談』(延岡新聞社、1931年)です。日文研データベースは掲載箇所を28〜29頁とし、地域を宮崎県延岡市としています。
内容は柳田が引いたものと同じです。筬を返した、返していないで二人の女が喧嘩になり、池に落ちて死んだ。だから雨の晩に二つの火が出て喧嘩をする、というものです。
死んだ場所が池であることと、火が二つであることが結び付いています。どちらの女の火がどちらか、という区別は語られません。
道具の貸し借りが、火になった
この話で争いのもとになったのは、宝でも土地でもなく、機織りの道具一つです。
筬は買えば手に入るものですが、村の中では貸し借りされました。返した返さないという言い合いは、どこの家にも起こりうる、ごく小さないさかいです。
その小さないさかいが、死と、雨の晩に出る二つの火に変わっています。
怪火の由来には、恨みや無念を抱えた大きな事件が語られることが多くあります。筬火の由来は、日常の道具をめぐる言い争いです。それがそのまま怪異の名として残りました。
筬火の伝承地域
公的データベースの地域欄は、宮崎県延岡市を示します。これは伝承を採録した地域の手がかりです。
池の名や、火が出る具体的な場所は記録に無いため、地図で一点を指すことはできません。
延岡市周辺(のべおかしとくにゅうへん)
日文研データベースが示す伝承地域
延岡市周辺の所在地:宮崎県延岡市
『延岡雑談』の記録に対応する範囲です。
資料には、女が落ちたとされる池の名も、火が出る道の名も書かれていません。
筬火の正体と考えられているもの
筬火の正体は確定していません。
記録が語るのは、筬をめぐって争った二人の女の死と、そのあとに現れる二つの火という筋です。ただし、この由来話が先にあったのか、二つ並んで見える火が先にあって由来が後から付いたのかは、資料からは分かりません。
雨の晩という条件だけが具体的です。湿った晩に見える光をどう説明するかという問いに、土地の人が筬の貸し借りという身近な争いを当てはめた、と読むこともできます。
いずれにせよ、記録が残しているのは説明ではなく、火が二つで、喧嘩をするという形です。
筬火が記録された資料
筬火を扱った読み物は多くありません。柳田國男「妖怪名彙」は各地の妖怪の呼び名を集めた連載で、のちに単行本へ収められました。
『延岡雑談』は延岡の郷土書です。どちらも一般の書店に並ぶ本ではないため、探すときは図書館の郷土資料の棚が近道になります。
筬火が記録された民俗資料
妖怪名彙(六)
柳田國男が『民間伝承』4巻6号(1939年)に載せた中心資料です。
延岡雑談
泉毅一郎が1931年に延岡新聞社から出した郷土書で、柳田の記事の出どころです。
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筬火についてよくある質問
筬火とはどんな妖怪ですか。
宮崎県延岡に伝わる怪火です。雨の降る晩に二つ現れ、たがいに喧嘩をするといわれました。
なぜ「筬」という名が付いているのですか。
筬を返した返していないで争った二人の女が池に落ちて死に、その火だと語られたためです。筬は機織りで糸をそろえる道具です。
筬火はどこに伝わりますか。
日文研データベースは宮崎県延岡市を地域欄に挙げます。ただし池や道の名は記録されていないため、出現場所を一点に定めることはできません。
筬火の姿は分かっていますか。
分かっていません。確認した記録には、大きさ、色、近づいたときの様子が書かれていないため、火が二つ現れるという以上のことは言えません。
筬火と併せて覚えたい言葉・用語
筬(おさ)
機織りで縦糸をそろえ、横糸を打ち込む櫛の歯のような道具。名の由来になった品です。
妖怪名彙(ようかいめいい)
柳田國男が『民間伝承』に連載した、各地の妖怪の呼び名を集めた記事。筬火の中心資料です。
延岡雑談(のべおかざつだん)
泉毅一郎が1931年に出した延岡の郷土書。柳田が筬火の話を引いた本です。
筬火の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。