鹿児島県喜界島の海で、大船の姿で現れ嵐を知らせたという神。従った船だけが助かった。

あさと神とはどんな妖怪か
あさと神はひとことで言えば、嵐を告げる大船の神です。鹿児島県大島郡喜界町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、岩倉市郎「喜界ケ島の傅説」(『旅と伝説』2巻6号・通巻18号、1929年、22頁)を典拠に、次のように記します。
手久津久の船は湾で一艘の見知らぬ船に泊を頼まれた。同時に大船から早く泊へ引き返せといわれ急いで見知らぬ船とともに泊の入り口まで引き返した。たちまち海は荒れ、恐ろしい風になった。浜へ上がって湾をみると、船はひとつ残らず波にのまれていた。大船の主は気象を知らせるあさと神である。
知らせに従った船だけが助かりました。
害をなす存在としてではなく、救う側として語られています。
大船の姿以外、神の形は記録されていません。
あさと神の漢字表記と読み方
読みは「あさとがみ」です。
名の由来は記録されていません。 「アサト」が地名か、別の語かも書かれていません。
島の海では、天候の急変が命に関わります。その知らせをもたらすものに、神の名が与えられました。
あさと神(あさとがみ)
日文研データベースが示す表記。
アサトガミ(あさとがみ)
同データベースの呼称読み。
あさと神の姿と特徴
あさと神が現れたときの姿は、大船です。
場所 … 喜界島の湾。
現れ方 … 大船として現れる。
言葉 … 早く泊へ引き返せ。
結果 … 従った船は助かり、湾の船は残らず波にのまれた。
神の姿そのものは記録されていません。
大船の大きさ、色、乗り手も書かれていません。
あさと神の伝承記録
「早く泊へ引き返せ」
手久津久の船は、湾で見知らぬ船から泊を頼まれます。泊は船を停める場所です。
同時に、大船から「早く泊へ引き返せ」と言われました。
二つの声が同時に届いています。 一つは頼み、もう一つは警告です。
船は、見知らぬ船とともに泊の入り口まで引き返しました。
この判断が、生死を分けます。
湾の船は残らず沈んだ
引き返すと、たちまち海は荒れ、恐ろしい風になりました。
浜へ上がって湾を見ると、船はひとつ残らず波にのまれていました。
警告に従った船だけが残りました。
そして記録は結びます。大船の主は気象を知らせるあさと神である。
姿を見せ、言葉を伝え、去る。 災いを起こす神ではなく、避けさせる神として語られています。
あさと神の伝承地域
公的データベースの地域欄は鹿児島県大島郡喜界町を示します。記録は手久津久の船の話とします。
湾や泊の位置は書かれていないため、地図で指せるのは島の範囲までです。
喜界島(きかいじま)
日文研データベースが示す伝承地域
喜界島の所在地:鹿児島県大島郡喜界町
記録は「手久津久の船」と記します。手久津久は喜界島の集落名です。
湾や泊の位置は資料に書かれていません。
あさと神の正体と考えられているもの
あさと神は、記録では気象を知らせる神とされています。
大船の姿で現れ、言葉で警告します。
海の神が船の姿をとるという語りは、島の暮らしに根ざしています。天候の急変は、そのまま命に関わりました。
なぜその名なのか、いつからの言い伝えかは書かれていません。
残ったのは、従った者だけが助かったという一事です。
あさと神が記録された資料
あさと神を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは岩倉市郎の記事です。
岩倉市郎は奄美の伝承を多く記録した人です。喜界島や徳之島の話をまとめた本があり、併せて読むと島の語りが見えてきます。
あさと神が記録された民俗資料
喜界ケ島の傅説
岩倉市郎が『旅と伝説』2巻6号(1929年)に載せた中心資料です。
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あさと神についてよくある質問
あさと神とは何ですか。
鹿児島県喜界島に伝わる、気象を知らせる神です。大船の姿で現れ、嵐の前に引き返すよう告げたと記録されています。
従わなかった船はどうなりましたか。
湾の船は残らず波にのまれたと記録されています。
神の姿は分かっていますか。
大船として現れたとだけ記録され、姿そのものは書かれていません。
手久津久とはどこですか。
喜界島の集落名です。話の船はここの船とされます。
あさと神と併せて覚えたい言葉・用語
泊(とまり)
船を停める場所。引き返す先として記録されています。
手久津久(てくづく)
喜界島の集落名。話に出てくる船の所属です。
岩倉市郎(いわくらいちろう)
奄美の伝承を多く記録した人。この話の報告者です。
あさと神の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。