岩手県遠野市の地蔵。方々を遊び歩き、酒屋や遊女屋にも行っていたという。

遊び地蔵とはどんな妖怪か
遊び地蔵はひとことで言えば、出歩く地蔵です。岩手県遠野市松崎町の話です。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、佐々木喜善「地蔵雑話」(『土の鈴』通巻12号、1922年、62頁)を典拠に、方々を遊び歩く地蔵があり、酒屋や遊女屋にも行っていた。帰ってきたかと思うと、またすぐにどこかへ行ってしまうのでこの名がついたと記します。
佐々木喜善は、『遠野物語』の語り手として知られる人です。遠野の話を数多く書き残しました。
祟りの話としては語られていません。 地蔵が酒屋や遊女屋へ行くという、人くさい振る舞いが語られています。
姿がどう動いたのか、見た人がいたのかは書かれていません。
遊び地蔵の漢字表記と読み方
読みは「あそびじぞう」です。
「遊び」は、出歩く、遊興するという意味で使われています。名は、その振る舞いから付きました。
地蔵が動くという話は各地にあります。歩く地蔵、田植えを手伝う地蔵、身代わりになる地蔵。遊び地蔵は、その中でも人の遊びを真似た形です。
遊び地蔵(あそびじぞう)
日文研データベースが示す漢字表記。
アソビジゾウ(あそびじぞう)
同データベースの呼称読み。
遊び地蔵の姿と特徴
遊び地蔵は、地蔵の石像です。
行き先 … 方々。酒屋。遊女屋。
動き … 帰ってきたかと思うと、またどこかへ行く。
歩く姿を見たという記述はありません。
大きさ、彫りの様子、いつの像かも記録されていません。出歩くという評判だけが伝わります。
遊び地蔵の伝承記録
酒屋や遊女屋にも行く
行き先が具体的です。酒屋と遊女屋。
寺でも辻でもありません。 人が遊ぶ場所へ出かけます。
地蔵は、道端に立ち、子どもや旅人を守るものとされてきました。その地蔵が、酒と色の場所へ通うという語りは、畏れよりも親しみを感じさせます。
咎める話にはなっていません。 遠野の人は、この地蔵をそう呼んで受け入れていました。
佐々木喜善が書き残した
この話を記録したのは佐々木喜善です。柳田國男の『遠野物語』のもとになった話を語った人物として知られます。
掲載は『土の鈴』通巻12号、1922年。題は「地蔵雑話」で、地蔵にまつわる短い話を集めたものです。
遠野には、地蔵や神仏にまつわる話が数多く残ります。 遊び地蔵もその一つとして書き留められました。
どの地蔵かを特定する記述はありません。
遊び地蔵の伝承地域
公的データベースの地域欄は岩手県遠野市松崎町を示します。
地蔵の立つ場所は書かれていないため、地図で指せるのは町の範囲までです。
松崎町周辺(まつざきちょうしゅうへん)
日文研データベースが示す伝承地域
松崎町周辺の所在地:岩手県遠野市松崎町
佐々木喜善「地蔵雑話」の地域欄に対応します。
資料には、地蔵の立つ場所や堂の名がありません。
遊び地蔵の正体と考えられているもの
遊び地蔵は、地蔵の石像です。妖怪として語られてはいません。
怪異にあたるのは、その地蔵が出歩くという評判です。
動く仏像の話は各地にあります。 身代わり地蔵、汗をかく仏。いずれも像が生きているように扱われた例です。
遊び地蔵は、その中でも遊びに出るという、もっとも人くさい形をしています。
遊び地蔵が記録された資料
遊び地蔵を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは佐々木喜善の「地蔵雑話」です。
佐々木喜善は『遠野物語』の語り手として知られ、自身も多くの伝承を書き残しました。遠野関係の本を読むと、同じ土地の話が並びます。
遊び地蔵が記録された民俗資料
地蔵雑話
佐々木喜善が『土の鈴』通巻12号(1922年)に載せた中心資料です。
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遊び地蔵についてよくある質問
遊び地蔵とは何ですか。
岩手県遠野市の地蔵です。方々を遊び歩き、酒屋や遊女屋にも行っていたと記録されています。
歩く姿を見た人はいますか。
記録に目撃の記述はありません。出歩くという評判だけが伝えられています。
誰が記録したのですか。
佐々木喜善です。『遠野物語』の語り手として知られる人物です。
どの地蔵か分かりますか。
分かりません。地蔵の立つ場所や堂の名は記録されていません。
遊び地蔵と併せて覚えたい言葉・用語
佐々木喜善(ささききぜん)
遠野の伝承を語り、書き残した人物。『遠野物語』の語り手として知られます。
土の鈴(つちのすず)
遊び地蔵の記録が載った雑誌です。
地蔵(じぞう)
道端に立ち、子どもや旅人を守るとされる仏。各地に動く話が伝わります。
遊び地蔵の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。