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茨城県

大木の松(たいぼくのまつ)とはどんな妖怪か|姿と伝承

大木の松  / タイボクノマツ

器物と草木 各地の伝説

切り倒した翌日には楠に接ぎ木したように付いていたと江戸の随筆が記した、社の近くの松。

大木の松の姿を描いた図

Σ64 「息栖神社(茨城県神栖市息栖)」 2019年 / CC BY 出典

大木の松とはどんな妖怪か

大木の松はひとことで言えば、戻ってしまった木です。

国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースは、佐々木貞高閑窓瑣談後編」(『日本随筆大成第1期』吉川弘文館、1975年)を典拠に、下総国庄佐郡飯岡村の、手古(てこ)大明神という社の近くの松の大木を切り倒した。翌日みてみると、切り倒した松は楠の幹に接ぎ木したように付いていたと記します。

元に戻ったのではありません。

倒した松は、楠の幹に接ぎ木したように付いていました。 別の木と一つになっています。

大木の松の漢字表記と読み方

読みは「たいぼくのまつ」です。

記録は「下総国庄佐郡飯岡村」と書きます。 いまの千葉県旭市飯岡にあたるとみられます。

一方、公的データベースの地域欄は茨城県神栖市を示します。 この図鑑はデータベースの示す地域に従っています。

「接ぎ木」は、木の枝を別の木に付けて育てることです。

大木の松(たいぼくのまつ)

日文研データベースが示す呼称。

手古大明神(てこだいみょうじん)

松のあった社の名です。

大木の松の姿と特徴

大木の松の話は、記録に短く書かれています。

場所 … 下総国庄佐郡飯岡村、手古大明神という社の近く。
したこと … 松の大木を切り倒した。
翌日 … 見てみると、切り倒した松は楠の幹に接ぎ木したように付いていた。

その後どうなったかは書かれていません。

大木の松の伝承記録

  1. 社の近くの松
  2. 切り倒す
  3. 楠に付いていた

社の近くの松

下総国庄佐郡飯岡村の、手古(てこ)大明神という社の近くに松の大木がありました。

社の近くに立っていました。

切り倒す

その松の大木を切り倒しました。

人が手を下しています。

楠に付いていた

翌日みてみると、切り倒した松は楠の幹に接ぎ木したように付いていました。

戻った先は別の木でした。

大木の松の伝承地域

公的データベースの地域欄は茨城県神栖市を示します。

ただし記録そのものは下総国庄佐郡飯岡村と書いており、いまの千葉県旭市飯岡にあたるとみられます。

この図鑑はデータベースの示す地域に従い、記録の書き方を注に残しました。

神栖(かみす)

日文研データベースが示す伝承地域

地図で開く

神栖の所在地:茨城県神栖市

報告は吉川弘文館の日本随筆大成によります。

記録は「下総国庄佐郡飯岡村」と書いており、いまの千葉県旭市飯岡にあたるとみられます。

大木の松の正体と考えられているもの

大木の松は、切っても離れなかったとされる木です

祟ったとは書かれていません。 語られているのは、翌日に見たときの姿だけです。

社の近くの木を切ることが、話の始まりになっています。

大木の松が登場する作品

大木の松を単独で扱った本は見当たりません。読めるのは日本随筆大成に収められた閑窓瑣談後編です。

社の木を切って障りが起きる話は各地にあり、切ることを避ける言い伝えを伴います。

大木の松が登場する随筆

閑窓瑣談

佐々木貞高の随筆。日本随筆大成第一期に収められています。

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大木の松についてよくある質問

大木の松とは何ですか。

手古大明神という社の近くにあり、切り倒した翌日には楠に付いていたと語られる松です。

どこの話ですか。

記録は下総国庄佐郡飯岡村と書き、公的データベースは茨城県神栖市を示します。

どうなっていたのですか。

楠の幹に接ぎ木したように付いていたと記録されています。

その後は分かりますか。

記録はその後について触れていません。

大木の松と併せて覚えたい言葉・用語

接ぎ木(つぎき)

木の枝を別の木に付けて育てることです。

下総国(しもうさのくに)

いまの千葉県北部と茨城県南西部にあたる古い国名です。

(くすのき)

暖かい地方に育つ常緑の大木です。

大木の松の参考資料

この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。

  1. 国際日本文化研究センター「大木の松」